〜はじまり〜

             (ネットでの呼びかけ、そして嵐の日に)

    

                2006420日木曜日


     その日はまさにバケツをひっくりかえしたような、雨が降っていた。

    傘などさしても意味がない。もうどうにでもなれとばかりに傘を開かず

     ずぶぬれで歩く人も散見できる、それがその日のはじまりだった。

          

     国は医療制度改革の名のもと医療費の削減に本格的に乗り出した。

      それまでも決して充分とは言えない医療制度だったが、

     多くの歯科医は現状に不満を持ちながらも、日々の臨床に忙殺されていた。

      そしてそれは突然通達され、多くの歯科医を震撼させた。


             算定用件「指導内容の文章提出」


    驚かせたのはそれだけではない。あまりに理不尽で複雑な適用欄への記入。

    そしてメンテナンスの廃止。領収書の発行義務。様々な項目の減点、削除。

      まるで、悪い夢を見ているようだった。


    インターネットの掲示板は毎日毎日悲痛な書き込みがあった。

     厚労省を激しく攻め立てるもの、歯科医師会の無能ぶりを嘆くもの、

     仲間うちでの誹謗中傷、自虐、なんでもありだった。

    みんなわかっていた。そんなことしてもどうせ何も変わらないということを。


       そんな中186番目の書き込みに、みんなは息を呑んだ。


           「厚労省に文句を言いたいやつは、集まれ!」


       普段なら無視されるような書き込みだが、その時は違った。

     みんな何かにすがりたかったのだろう。後輩を50人つれていくだの、

     従業員から子供まで身内は全てつれていくだの、勇ましい書き込みが

      増えていった。ある意味希望の光だったといってもいい。

           それだけ、みんな深く傷ついていたのだ。


                そして迎えた約束の時刻。


   春の嵐は突然その勢いを弱め、雲の切れ間から春らしい暖かな太陽が射しはじめた。

   集合場所には数人の人影があった。みんな少し照れくさそうに、しかし目には

    はっきりとした決心を伺うことができた。


           総勢15名。つきそいの人もいたので実質は10名。

               そうわずか10名の発足だった。




         

                    〜灯火〜

           (はじめてのオフ会議、桜井議員との懇談)

             20064月〜6


     笑い話のようだが、当日は300人までは入れるような会場を準備していた。

             10300人まで対応可能な会場。

         奇しくも最低で考えていた人数で済んでしまったのだ。

       でもみんなそのことは気にしていないようだった。「10人も集まった」

         と素直に感動しているものもいた。とにかく火は灯ったのだ。


        途中保団連の人達とともに数人が議員会館に向かい、技官との

        会談に臨んだ。残りの人は会議を始め、各々持ってきた資料や

        関連した本などを紹介し、時の経つのも忘れて議論に没頭した。


           そして、桜井議員との懇談の時間が迫ってきた。

        なにしろほとんどの人が現役の国会議員と会うのは初めてなので、

          緊張の色は隠せない。トイレを探すもの、落ち着かず

          ロビーをウロウロするもの、永遠に近い時間が流れた。


                 そして桜井議員は登場した。


        議員は思った以上に歯科の現状に詳しく、問題点なども的確に

           把握していた。そして議員は秘書に「あれ持ってきて」

         と右手をすっとあげると「文章提出に関する緊急アンケート」

               という紙を全員に配り始めた。

         そして小さく息を吸って言った。「アンケートを集めなさい」

            驚くメンバーを尻目に桜井議員はこう続けた。

    「紙だしは患者のためになっていない、こんなバカバカしいことは止めさせるべきだ。

      「これは歯科医のためにやるんじゃない。患者さんのためにやるんだ。」


                これが会の初めての仕事となった。

                そして会の考えの根底にもなった。


      

              



〜みんなの歯科ネットワーク誕生〜

             (国会答弁、2回目のオフ会議)、

                     20066月〜7


      その後の掲示板の盛り上がりは誰もが忘れることができないだろう。

      桜井議員はそのアンケートを元に国会で川崎厚労大臣を相手に

       熱弁し、その中継を見ていた歯科医達を熱狂させた。まさに

         起死回生の機会を得たと思った歯科医も多かっただろう。


       しかし当たり前のことだが、自体はそう急に良くなったりはしない。


      その後はだんだんに掲示板にもメンバーにも「ダレ」が見え始めた。

       書き込みは序じょに少なくなり、メンバーも次の行動を取れずに

       悶々とする日々が続いた。そんな時に桜井議員から「趣意書を

       書いてみてはどうか」と提案があった。会にはいいカンフル剤に

    なった。そして2度目のオフ会議の計画が持ち上がったのもその頃だった。


      掲示板には毎日多くの人が訪れている。常連は固定のハンドルネーム

      を使い、持論を展開する。しかしその何倍もの数の人がいわゆる

        ROMread only message つまり「読むだけ」の人だ。

      こういう「読むだけ」の人の多くは自ら行動をあまりしない傾向がある。

      もちろんそれが悪いという意味ではない。ただ、会のメンバーは

       大きな計算違いをしていた。「ここまで行動してくれば、きっと

       活動に参加してくれる人が大勢いるはずだ」と思っていたのだ。


          掲示板でも専用のサイトでも会の参加を呼びかけた。

          2回目のオフ会議も日時を決めて参加を呼びかけた。


                しかし反応は薄かった。


     考えてみればこれは当然のことなのだ。まだ2ヶ月たらずしか経っていない、

      名前もない会に交通費を使ってまでこようという、奇特な人がそうそう

      いるわけがない。当初オフ会議参加者は50名くらいと踏んでいたが、

           蓋を開けてみれば15名という結果になった。

       しかし会議そのものは充実していた。まずNPO法人にしてはどかという

       意見が突如飛び出した。会の方針を考え、これから拡充することを視野

       に入れればNPO法人という手段はとても有効に思えたからだ。

      会場のだれもが同意した。みんな興奮を少し抑えられないようだった。

    その後の議論も白熱した。そして今回の最大議案であった会の名前の決定に

   入った。意見は錯綜した。「硬い感じがいい」「いや、やわらかいイメージが大事だ」

     この時点ではみんなはまだ「患者さんと共に」という明確なビジョンはなかった

     ように思う。だから名前の決定のその瞬間まで、多くの案が出続けたのだろう。


     そしてその名前は、あまりに案がまとまらないので、ひとりづつ自分の考えた

    名前を言って、その中から多数決をとることにしようと、提案されたその時に飛び出した。

                 「みんなの歯科ネットワーク」     

       

    一瞬会場がシーンと静まった。発言したメンバーは「あ、単純すぎますね」と

       慌てた。すると、どこからか「いいよ、いいねそれ、うんいいよ」

     「いいねー。なんかそれしかない気がする」とみんな一様に声を上げた。

     今考えると、この時にはっきり「患者さんと共に」ということを意識したんだろう。

   喉の奥にひっかっていたモノが取れたように、すっきりとその名前が会を表していた。    

               灯火が凛とした瞬間だった。


             NPO法人)みんなの歯科ネットワーク発足


  


                  〜本格始動そして協力者〜

                     (会員増、理事長登場)

                      20067月〜8


     どんなりっぱな考えをもった活動でも、人がいなければ達成することは難しい。

         ましてや、行政や制度に関わるものであれば、それなりの会員数と

              深い人脈をもった協力者は不可欠であろう。

  この頃になると会員数は面白いように増えていった。大きかったのはメーリングリスト

   の立ち上げだ。メーリングリストの参加を希望する人は多く、実名や住所、電話番号

  などの個人情報の提出の条件にも関わらず、毎日のように参加希望者がメールを送ってきた。


       また専用サイトの存在も大きかった。サイトがどんどん充実し、「面白いサイト」

               になるに従い、会の知名度も上がっていった。


                  そんなところにもう一つの追い風が吹いた。


      それは会の理事長になってくれるという協力者の登場だった。メンバーにして

     「桜井議員以来の大物」と言わしめたその人は人脈充分、知識充分、人柄充分の

      正に天の恵みとしかいいようのない存在だった。

       まず理事長はシンポジウムの開催を会に提案した。もちろんすぐにはできない。

       患者代表、中医協代表、歯科医師代表、国会議員、学者を一同に集め、

         会の主催でシンポジウムを開催するのだ。メンバーには夢のような話

        だった。しかし理事長はそのやさしい目をほそめてなんどもうなずきながら

        「できますよ。できます。大丈夫です。私のもってる人脈は全て使います」

         と力強く話した。


   運命は全て運で決まるとは思わない。でも努力だけではどうにもならないものもある。

         なぜこの会が発足し、なぜここまでこれたのか。運も味方してくれたからだ。



       

                 〜現在、そしてこれから〜

               (ネットの活用、そして明日へ)

                      20069月〜


                今会は大きな転換期を迎えている。

    それは増えていく会員の意見をどうまとめ、そしてメンバー間の物理的距離をどう

       解決するかだ。チャット、掲示板、ML色々な方法を試みた。そして

     現在最も注目しているのがスカイプだ。これなら会議をしているのと変わらないし、

       距離も関係ない。この会はネット発でありネットを最大限に使っていくのも

    一つの先駆的行動としている。これから会として進めていきたい計画は山ほどある。

           しかしどれも根本には「対話」を重視している。


      この会は政治結社でもなければ、反政府運動を展開していくわけでもない。

        「医療は医療従事者と患者さんのものである」という考えのもと、

        医療従事者と患者さんの両方の為になる制度を構築するために、

        共に話し合い、勉強し、そして行動する。そんな当たり前のことを

            やりたいと思っているだけの会だ。


        みんなの歯科ネットワークはどこまでいっても「みんなの」という

                 言葉を外すつもりはない。