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社会的共通資本とは !

社会的共通資本について同志社大学・社会的共通資本研究センター長宇沢弘文は次のように定義しています。

「社会的共通資本は、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する。
社会的共通資本は自然環境、社会的インフラストラクチャー、制度資本の三つの大きな範疇にわけて考えることができる。
大気、森林、河川、水、土壌などの自然環境
道路、交通機関、上下水道、電力・ガスなどの社会的インフラストラクチャー
そして教育、医療、司法、金融制度などの制度資本
が社会的共通資本の重要な構成要素である。
都市や農村も、さまざまな社会的共通資本からつくられているということもできる。」

(宇沢弘文『社会的共通資本』岩波新書から)


ヒポクラテスの誓いと社会的共通資本としての医療 !

上の定義をされた宇沢弘文先生の講演
「ヒポクラテスの誓いと社会的共通資本としての医療」 ‐(社)大阪府医師会ホームページより
一部抜粋

日本学士院会員、東京大学 名誉教授 宇沢弘文

医療制度の見直しが不可欠
今、患者としてお医者さんに診ていただくと、そのようなパターン認識で診察されているような感じがします。このまま政治的、予算的要求で診療報酬基準がだんだん厳しくなると、ますますそのようなパターン認識に頼ってしまい、全体として本来の医の原点を見失っていくかもしれません。にもかかわらず、最近、経済学者の多くは、ただコストを安くすればいいと言います。今、医療費は約31兆円です。その内容を見ると、薬代や検査費がかなり高い比率を占めていて、医師や看護師の技術料は非常に低いのです。アメリカの5分の1、場合によってはそれ以下です。薬代は約2倍、検査費は約3倍ですから、非常にいびつな状況です。しかも国民所得に対する医療費の割合は、OECD加盟国の中でとても低くなっています。それでありながら、すばらしい医療が提供されてきたし、今もされています。それは医師、関係者の方がとても苦労をして維持されているのですが、だんだん無理が続かなくなるのではないかと感じます。私の周りで、がんになるお医者さんが非常に多くいます。ストレスが続いて病気になりやすくなっているのではないでしょうか。医の道を歩む人たちの立場からも医療制度を見直す必要があるのではないかと考えます。
医療に経済を合わせる模索を
私の友人で、ヒポクラテスの誓いが持つ哲学的意味を追求してきたすばらしい人がいます。彼は逆オーダーの問題で、何人かのお医者さんと一緒に訴訟を何度も起こしてきましたが、つい先月、がんで亡くなりました。何か厳しい条件の中で悪戦苦闘していると、病気を患って亡くなるケースが多くあるような気がします。 今まで日本を支えてきた、特に年配のお医者さんたちがおられなくなって、若い世代に代わってくると、日本の優れた医療制度が事実上、崩壊していくのではないかと心配です。医療費が幾らかかるかとか、そういう問題ではありません。最適な医療、医師・看護師への仕事に見合った社会的・経済的待遇、医師・看護師になることが子どもたちの夢になるような制度を模索することが、私たち経済学者の仕事ではないかと思っています。 経済に医療を合わせようとする最近の流れ、特に経済財政諮問会議の考え方を真っ向から否定して、医療に経済を合わせることを模索するのが社会的共通資本としての医療の本当の意味だと考えます。経済財政諮問会議の学者が、完全に権力に巻き込まれて、理論的根拠や社会的な正義感が全く欠けていることを主張しているのを見ると、経済学が社会の病気をつくっているという感じを強く持たざるを得ません。




ヒポクラテスの誓いと社会的共通資本としての医療          !

 -日本学士員会員・東京大学名誉教授 宇沢 弘文-
 日本臨床内科医会HPより

一部抜粋

社会的共通資本としての制度資本を考える時、教育と医療が最も重要な構成要素である。医療は、病気や怪我によって正常な機能を果たすことができなくなった人々に対して、医学的な知見に基づいて診療を行うものである。一人一人の市民が、人間的尊厳を保ち、魂の自立を守り、市民的自由を最大限に享受できるような社会を安定的に維持するために必要、不可欠なものと強調された。  現在、ヒポクラテスの誓いに忠実に医療を行った時、医療機関の経営的安定、個々の医師やコメディカル・スタッフの生活的安定を維持することができるであろうか、医学的最適性と経済的最適性とは両立することが可能であろうかという問題が当然提起される。日本の医療制度は矛盾に満ちている。良い医療を供給しようとすると、その医療機関は経営的に極めて困難になる。その主な原因は診療報酬制度にある。厚生官僚が実際の医療行為に決定的な影響を与えかねない診療点数表を、もっぱら政治的ないしは財政的な動機に基づいて官僚的に決めている。この制度が、日本の医療の実質的内容を大きく歪め、医師の職業的倫理の維持、専門的能力の発展に大きな障壁となっている。




社会的共通資本としての医療 !

まず、現行の診療報酬制度を改革して、医師が医学的見地から最適と考える診療行為を行ったとき、各医療機関が経営的に可能になるようなものにしなければならない。そのさい問題となるのは、各医療機関ないしは個々の医師が高い職業的能力と倫理観をもち、常に医学的見地から最適と考える診療行為を行っているか、さらに医療資源が効率的に配分されているかをどのようにして判断するかである。これは決して厚生官僚が行政的観点から行うものであってはならないし、ましてや儲かっているかどうかという市場的基準によって左右されてはならない。営利企業が医療を儲けの対象として営業活動を行うというのはまったくの論外であるといってよい。医療の財源については、国民健康保険、老人医療、介護保険の制度を参考にしながら、ひろく一般の方々の考えを聞いて、慎重に決めるべきである。このとき、欧米の先進諸国の例にならって、所得税の一部を各個人の選好にしたがってある特定の病院や学校に対する寄付に当てたり、あるいは病院や学校に対する相続財産の遺贈は全面的に非課税とすることが望ましい。後者の税制特別措置は現に存在はするが、きびしい行政的な条件が付けられているだけでなく、一年以内に使いきらなければならなくなっていて、基金として組み入れることは認められていない。 いずれにせよ、いまもっとも望まれていることは、医療は社会的共通資本の重要な構成要因であるとの認識に立って、現行の医療制度を、医学教育、研究の面も含めて、徹底的に改革して、医学的最適性と経済的最適性とが両立できるような制度を実現することである。









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Last-modified: 2007-06-17 (日) 17:46:33 (3962d)