Top / 歯牙余論

歯牙余論(しがのよろん)】
ここでは、歯牙は口の端を意味し、余論はそこからもらしてしまった僅かな言葉のことを言う
悪口や本音など悪い意味を想像しがちだが、
「歯牙の余論を惜しむことなかれ」と言い、少しの励ましや褒め言葉が大切であるという意味。これはまた、じつに良いことである。

 

歯牙余論も随分コラムが多くなってきました。
読み込みに時間がかかるようになってきましたので、
新しい分は「その2」として、歯牙余論・・その2のページに載せていきたいと思います。

歯牙余論」の目次

医療監査 !

 昨年6月19日に閣議決定された「美しい国」へのシナリオ(※1)には、歳出・歳入の一体改革での社会保障改革において『不正な保険医療機関や介護サービス事業者等への指導・監査の強化』が明文化されている。具体的には保険医療機関の個別指導数に就いて毎年8000ヶ所を目指すのであるが、その前月である5月15日の経済財政諮問会議にて厚労相が公約したものに依る。

 また昨年12月5日に最終改正がなされた「日本年金機構法」(※2)には『保険医療機関等に対する指導・監査等の事務は、地方厚生局において実施するものとする。』と示されてある。本年10月1日に施行されるが、指導・監査業務が従来の社会保険事務局から地方厚生局に移管される。そこで、これを機に指導や監査の強化が図られるとも言われている。

 一方本年度、厚生労働省の機構改革が進められるが、この指導・監査の強化に関して、新たに体制を整備することが予定されていると聞く。現在これらの業務は、保険局医療課における医療指導監査室が担っていたが、これが改編されるらしい。

 公的医療費が増大する一方で、医療保険財政は逼迫し、これまでの診療報酬抑制や自己負担増といった政策では手詰まりであるため、保険医療機関の不正という無駄を排さねばならないとの指摘が予てから多い。そして一般に向けても医療Gメンの増員といったものは理解を得られやすいと考えられる。

 地方厚生局の機能を充実し、本省においても組織の強化が図られるのに、詰まり予算が付けられるのにたいした釣果も得られなかったでは済まされないであろう。

 診療報酬改定を目前に控えるが、疑義解釈の行方は分からないし、施設基準の問題も大きい。これに合致せぬまま請求が行われれば、それを「手口の巧妙化」と言われるのであろう。

 現場の意見は蚊帳の外のまま、我々は秋霜烈日の如き環境に身を置くのであろうか。

 兎も角、実施される個別指導は従来の約3倍が予定されている。

Feburuary18, 2008 / 夜間飛行 wrote


一物二価 !




本来、歯科医療に保険とか自費とかの区別はないはずです。
けれども、歴史的経緯の後、昭和51年の厚生省(当時)の課長通知を根拠にいわゆる「自費」の治療が存在しています。

保険と自費の「2本立て」になっているところが日本の歯科医療制度の一番の矛盾でしょう。
患者からみて、保険適用外の診療があること自体は理解しやすいかもしれませんが、一見同じことをしているのに、保険と自費の治療費の差が材料費の差でないことは、理解しにくいでしょう。

全部鋳造冠(以下FCK)の場合、白金加金のFCKと金パラのFCKで金属の違い以外に何か違うのでしょうか?

技術に違いがあるならば、金パラのFCKは手を抜いていることになります。
少ない診療報酬の中で一生懸命治療している歯科医師もたくさんいます。
自費はより良いものだという意見もあるでしょう。でも、それでは保険はより悪いものになってしまいます。医療としては、どちらが妥当なのでしょうか。一生懸命治療した金パラのFCKは果たして悪いものですか。

技術に違いがないならば、まさに「保険=医師・自費=商人」になってしまうでしょう。焼肉屋では和牛とオージービーフでは値段が違います。
多分、その差は仕入れ値の差より大きいでしょう。それが商売だからです。
保険と自費の治療費の差が材料費の差でないことはこのことと何かちがうのでしょうか。

どちらにしても納得できるものではありません。まさに矛盾しています。
診療報酬は国が決めたもので、不当に低いのかもしれません。
開業医は保険の不採算を自費で補っていることがわかっていますが、患者(国民)には理解されていません。
自費で診療を受ける1人の患者にしてみれば、他人の保険分まで負担する理由がありません。
「保険の不採算」ということが患者(国民)に理解されなければ、「保険=医師・自費=商人」というひとがいても不思議ではないと思います。
「自費」は医科にもありますが、歯科のような「一物二価」はないようです。物に利益が乗っかっているようにみえる現制度では医師よりも歯科医師は国民から低くみられるのも当然でしょう。


2008/02/16

    SAT

地域医療 !


 〜地域に根ざして〜

 近年、軽い病状でも夜間や休日に病院の救急を受診して来る者が多いと言われる。 救急車をタクシー代わりに使う者の話を聞かされれば、モラルの崩壊極まれりの感も ある。一方、過当競争甚だしい歯科医院は、深夜や休日まで開けていても患者が集ま らなかったり、また24時間で年中無休のところだってある。何れにしても聞き飽きた 話で、食傷気味ではある。

 しかし「群盲象を撫ず」との言葉がある。物事はひとつの側面からだけ見てはいけ ないし、大切なことを見落としてしまう虞もある。

 私がかつて開業を決意した時、地方金融機関の長を務められたことのある方の下へ と相談に伺ったことがある。
 「医者なるものは、地域の人達のために根ざして生きねばならないのだから、所謂 持ち医院にて開業するべきだ。何も大きな土地や建物が必要なのではない。自分のた めに住むのではなく、地域の人達のために住むのだ」と言われた。
 長い人生経験を持つ方の意見には耳を傾けるべきだったが、時はバブルの絶頂期、 土地の神話は未だ崩壊せず、加えて市場金利は今の二倍から三倍といったところ。リ スクを優先的に考慮した私は、結局テナントにて開業することになった。住診分離と いうやつである。

 標榜時間を越えて診療することは多い、時には深夜診療所に戻ることもある。しか し都市部やその郊外であれば、歯科医院の数に不足はないし、かなり遅い時間まで開 けているところも多い。また大概の場合、一晩くらい問題はないものだ。
 だが我が国も、何処も彼処もそういう状況とは限らない。地域に根ざして住んでく れる歯科医がいなければ、輪番制や休日診療所があろうと困窮するところだってある だろう。また離島の歯科医の悲しい話も聞き及んだこともある。
 地域医療との言葉があるが、本来はこういったことを指した筈だ。そして国民皆保 険制度の利点のひとつでもある。何でもかんでも中央の理屈で変えてしまおうとすれ ば歪が生じるに決まっている。

 住診分離でない人達は大変であろうと思う。そして分離している私のような者は申 し訳なくも思う。

 こうしている今も、地域に根ざして住む私達の仲間の下へと駆け込む患者がいるの かも知れない。私は唯、扉を開く仲間である彼の目に宿るものを想い浮かべてみるに 過ぎない。


February5, 2008 / 夜間飛行 wrote


歯科医師過剰〜失敗を恐れる当たり前の感覚 !


 少し前の週間AERAで、作家の高村薫さんがそのコラムにおいて、小泉改革時代の遺産なのか、普通に就職せずに「起業」する若者が多いことに就いて「失敗を恐れる当たり前の感覚」の欠如に警鐘を鳴らされていた。

 いまだ金利が日本人のモラルの崩壊を加速させるのに十分な低水準にあることにも依るのか、我が歯科業界においても次から次へと「起業」する者が後を絶たない。勿論勤務医としての受け皿が決定的に不足しているのが極めて大きな要因だが、誰の目にも「過剰」と見える地域において雨後の筍よろしく開業してくる。現行の2%や3%台の超低金利で事業計画を立てておれば、金利上昇の気配が認められないとはいっても、いずれ痛い目に会うのは確実である。

 かつて一歯科医院あたりの患者数は2500人くらいが適正であると言われていた。今よりもう蝕罹患率の遥かに高い時代の話である。疾患構造の変化があって、最早数多くの歯科医師は不要の存在とも言われ、需給関係改善のため歯科医師数削減の必要性が叫ばれるようになってから久しい。かつて適正数と呼ばれたところのものを二倍も上回る超過密地域にて全ての歯科医院が存続可能なら、そこは歯科医にとって至上の楽園と言っても差し支えないであろう。より良き治療を施すに、まだまだ歯科医は必要との声もあるが、良い治療が行われれば次第に患者の数は減る筈のもの。しかしながらOECDヘルスデータに依れば、我が国の歯科受療率は他を圧す。加えて歯科医療費の対GDP比も決して低くはない。

 競争に依って劣悪な歯科医が淘汰されれば良いとの考えがあっても、淘汰されるその直前までに患者の口腔内にて「開拓」が行われるとの考えには及ばないのであろうか。自分の能力を越えた治療を行えば失敗する。不要な治療を行えば、それ自体が失敗である。

 疾患構造の変化に対応するためにも、予防に重点を移すというのは正論であるが、その是非は別としても高過ぎると指摘される受療率を等閑視するわけにもいかない。

 二十年先でも三十年先でも構わない、歯科の二大疾患が十分に予防可能であると言われるのなら、歯科界はExcuseを探す前に将来のあるべき姿を模索せねばならない。いきなり全てを変えてしまえと言えば、一斉に別の方向へと駆け出し、そこで更に大きな失敗が起きるかも知れぬが。

 既に歯科医であるにせよ、これから歯科医を目指すにせよ、先ず取り戻さねばならないのは「失敗を恐れる当たり前の感覚」であると思う。

     〜Osaka CIA inspired

   February1, 2008 / 夜間飛行 wrote


危機的な状態での生き残りを模索する私立歯科大学 !



私立歯科大学の募集人数は、多いところで、128人、すくないところで90人くらい
これで、6年と考えると、768人から540人
学生の年間納付金が500万円と考えると38億円から27億円
その他色々考えると、学生の納付金は30億円から40億円くらいもう少し有るか?

付属病院の収入を考えても、基本的に赤字体質、
色々考えて、私立歯科大学は、年間5億円からの赤字体質。
学生が、1割減ると、赤字は、年間8億円から10億円の間で赤字体質になります。
もちろん私学助成金や以前、余裕のあった頃の資産の運用や取り崩しで生きていくと 思いますが、年間10億円くらいの赤字体質で、何処まで生き残れるのか、まるで、チキンレース どこが、先にギブアップするか。

大体、人件費が学生納付金とほとんど同じくらいの、経営状態で、いかに人件費を削減できるかと各大学は模索していることでしょう。

その中での、少子化、募集人数の削減、国家試験の合格者数の減、金利は低い
このチキンレースは、その速度を速めています。

第二歯学部を持つ大学は、この状態が2倍、
付属病院だけで独立採算が出来るなら、まだしも、八方塞の状態でどう生き残るのか?

世界で一番大きな歯科大学を望むより、名誉ある縮小を考える時期に来ているのでは ないでしょうか?

これから、どのような生き残りを模索していくのか、歯科大学の行く手には暗雲が見 えていると思うのは私だけでしょうか?

    2008/02/01  グズ


改定近づく !


診療報酬改定まで二月余りとなりました。前改定時、説明会場では殆ど臨死体験をしたようなものでしたが、今回も期待できるような状況にはなさそうです。都市部から一斉に保険診療の忌避が生じるが如きものになるのでしょうか。
国民皆保険制度は、これまで社会の安定化装置でありましたし、今も未だその筈です。

考えてみれば、私達はそれぞれ目の前の患者の為に社会保険診療に協力しているわけで、綻びが見えたとは言え、類稀なる徴収システムの維持に直接力を貸しているのではありません。即ち手段である筈のものが目的になっているみたいな話で、目の前の患者にとって手段にすらならないようなら本末転倒極まりありません。| | なし崩しに自由診療への逃避が加速するのでしょうか、又その退路すら断たれるのでしょうか。
いずれにせよ、皆が皆一斉に逃げ出してしまえば、帰るところをなくすというのは 事実に違いないでしょう。

Jan29, 2007 / ZOSO wrote


国民が受益者となる為に !


 全く別のことを調べていて、偶々見つけた文言があります。

『元来保険という制度を設けまして、事業主も半分負担をする、被保険者も半分負担をする、そのような費用をもって医療保険を運営していく、さらに大きくいいますならば、医療保障制度という制度を通じて患者を救っていくことは、単に患者だけが受益者ではないと私どもは考えるわけであります。(中略)この健康保険という制度を通じての受益者は単に患者だけである、あるいは患者が主たる受益者であるというような考え方は間違いでありまして、広く申し上げますならば、国民全体、また事業主であり、そこに働いておる労働者全部が受益者である、このような考えに発して、初めて保険料につきましても労働者が持つ、また事業主も保険料の半分を持つ、こういう根拠が生まれてきていると私は思います。』

 これは昭和31年3月17日、衆議院社会労働委員会公聴会における全労会議書記長の和田公述人の一部負担金に就いて触れた発言部分から抜粋したものです。

この時代は背後にソビエト連邦が控えていました。その後に国民皆保険も達成され、John Ruggieの述べたところの「埋め込まれた自由主義」が機能することになります。またこの時代には、今日のような高齢化も想定されていませんので、社会保障の対象にも限りがあった筈で、前提そのものが変わっているとは言えます。

しかしながら上記の言葉は、社会保障としての医療の意味を端的に言い表していると思います。即ち患者が受益者なのではなく、須く国民が受益者であるべきということです。

 ここで念を押しますが、わたしは「社会保障としての医療」に就いてを述べています。

社会保障というのは、それが必要になった時、国民の誰しもが受けることが出来る筈のものです。近年、受益者負担の名の下に患者の一部負担金が引き上げられていますが、ここでの受益者負担というのは、それに依って益を得る個人に負担を求めることです。それが社会保障という概念に適うか否かは考えてみる必要があるかと思います。

 また、それ以前の問題で、個人が支払った保険料や税金の多寡は、受けられる社会保険診療の内容には影響しません。ここで生じる不満を解消しようとすれば、社会保障としての医療を縮小して、多くを民間に移行することが考えられます。

 昨今語られる「受益者負担」や「自助努力」を聞く時は、その方向性を考慮せねばなりません。

 さて、本当に国民が受益者となる為に、社会保障として提供されるべき医療とは。その最適なる水準とは。

 解を出すのが、一部の人達であってはならないと思います。

   December22, 2007 / ZOSO wrote


再度「撤退戦」 !

 ある時、金融機関の職員と胸襟を開いて話をしてみた。
「歯科医院にせよ薬局にせよ、また美容室にしたって、これだけ巷に溢れ返っているの に、よくもまあ貸し込むものだ」と私。「そりゃあ、とるものさえとれば、貸すことは 貸す。金融緩和においては住宅ローンだって同じことで、ひとつのところで断られた ら、計画を見直すのが必要なのに、別のところから借りてくる。結局はモラルの崩壊を 起こしているんだ」
 そう言う彼にしても、より優遇金利で住宅ローンを組んでいるのだから人のことも言 えた義理ではない筈だが。

 また別のある時、会計事務所の税理士と腹を割った話が出来た。
「私たちが参加する※※※※の勉強会の時に、前で話をした役人が、歯科のパイは増え ないと言っていた。歯科業界は、今後も自費を含めたとして、増えないパイを食い合う ものだから、決して良くなることはないだろう」
 結局のところ、彼らがセミナーとやらで教えるのは、競争に依る淘汰、即ち差別化の 話である。

 畢竟歯科業界は撤退戦に突入している。

 各種業界においては、天邪鬼に違いはないが、未だ消費意欲の旺盛な団塊の世代のニ ーズを掴めと言われている。これは何も製造業や不動産業、旅行業界に限らず、数多く の医療保険を売り捌いた保険業界においてもそうだし、歯科業界にしたって当て嵌まる のかもしれない。しかし全く当たり前の話だが、これが延々と続くわけでもない。だか ら売れる間に売っておけ、とれる間にとっておけとなる。
 一方これからの世代に目を向ければ、驚愕すべきデータだが、非正規・無業/非在学 人口(15〜24歳 非在学)は、増加の一途を辿り、2007年度で男性44.3%、女性53.6% に及ぶという。このデータ作成者の後藤道夫氏(都留文科大学教授)に依れば、所謂ワ ーキング・プアの問題は今後一層深刻化するとのことである。詰まり「格差」が問題と いうより「貧困」が問題になるそうだ。
 Trickle downとの言葉があるが、少々滴り落ちたところで、底が抜けているのだから 仕方がない。中間層の没落と少子高齢化が相俟って、今後消費は減退し、我が国の経済 は確実に縮小へと向かう。従って生活の医療とも呼ばれる歯科では、幾ら付加価値を与 えたところで、パイが増えるとは考え難い。

 繰り返せば歯科業界は撤退戦を余儀なくされ、それは他の業種においても同様かも知 れぬが、これに納得し、また同意出来るのは、或る年齢以上の歯科医師であろう。
 逃げ込むことの出来ない二十代や三十代の若い歯科医師にしてみれば、撤退戦などに 付き合わされて居れば、自身の人生設計が成り立たない。医療施設や自宅の維持、子供 の教育、老後の貯え。だいいち歯科医師としてのモチベーションが保てない。年配で、 継承者の居ない歯科医であっても、自分がその立場に居ればと容易に想像もつくだろ う。
 従って一刻も早く制度を変えてくれとなるし、それも当然の願いであるが、何れにせ よ人の口腔内で繰り返されるScrap and Buildから撤退することを考慮せねば、患者や 国民は納得しないだろうし、これを等閑視すれば、必ずや手酷い竹箆返しを受けること になるであろう。

December11, 2007 / ZOSO wrote


「片翼の技工士」の行くところ 加藤 敏明 !

日本の歯科の起原については平安朝(794-1184)頃から仏師によって木製義歯が作られてからと言われます。ヨーロッパでは、近代歯科学の祖といわれたJoan Pierre Fauchard(1690-1761)によって金属枠の総義歯が作られましたが、実用性に乏しく、実用出来る木製の義歯はアメリカのGardette, J.が使用した1800年頃に入ってからであります。

歯科治療が行われたのは室町末期で、幕府医官として口中医がいました。江戸時代初期にも幕府や藩には、お抱えの 口歯科、口中科を専業にする医師がいて、口、喉、歯の治療をおこなっていました。しかし、治療は上層階級やお金持ちの人に限られていました。庶民は仏師に代わって発展した「入れ歯師」の治療を受けていました。「入れ歯師」は、親方に弟子入りして修行した後、一人前になると免許をもらい独立しました。「入れ歯師」は、香具師(やし)の組織に属して店を構える者や、あちこちに出張して滞在し入れ歯づくりを行う物で、営業形態が大道、旅商、定住、店舗、家中、口中型に分かれていました。 江戸時代中期には、口中医も入れ歯を作る様になり、又入れ歯師で口中治療を行う者が出て「歯医者」と称しました。この様に日本の歯科治療は口中医、口科医、歯医師、入歯師、などが行い、医師の範疇から香具師(やし)の類までありました。

しかし皮肉なことに日本の近代歯科学はこれらの人達でなく、まったく新しい人達によって発展したのです。それはアメリカ人イーストレーキ(1860、万延元年)歯科医師が横浜で歯科医院を開業したことが出発点とされています。これらの外国人歯科医の元で新しい歯学を修得した人や、自ら外国に留学し歯科医術を修得した歯科医が国から免許を受けて、その人達によって急速に発展したのでした。

1874年(明治7年)の医制で、口中科が眼科や産科と併記され、翌年1875年(明治8年)小幡英之助が歯科の科目で受験し、歯科の名称が生まれ、歯科医として初めて認められました。1883年(明治16年)歯科試験科目が定められ、歯科医師(検定試験)が誕生しました。検定試験を受けない従来からの歯科医療従事者(業者)に対して、1885年(明治18年)内務省の入歯・歯抜・口中治療・接骨営業者取り締まり、同年東京の従来入れ歯抜歯口中治療接骨営業取り締まり規則によって、口中医ついては漢方医と同様に、従来家としてそのまま業を認め、口中医以外は「入れ歯細工師」「入れ歯細工職」「入れ歯製造業」府県の鑑札を受けて営業をしなければならなくなりました。この従来からの歯科治療従事者をそうして「入れ歯抜歯口中治療営業者」といいました。

明治39年(1906年)歯科医師法第48号が制定され、歯科医師検定試験合格者と歯科医学専門学校卒業者(無試験)が近代の歯科医療を担う時代に入りました。しかし従来家は大正末まで存在しましたが、明治後期まで我が国の歯科医療の需要のかなりの部分を担っていたことは間違いない事実です。大正末まで日本の歯科の歴史上「入れ歯抜歯口中治療営業者」を残したため、2種類の歯科が生まれたのだと思います。昭和4年、初めての国立の歯科教育機関、東京高等歯科医学校が誕生しました。その時に歯科技工手養成科がおかれました。これが正式な歯科技工士養成の始まりで、高等小学校卒の4年修業年限でありましたが、しかし昭和18年に廃止となりました。昭和6年頃には、尋常小学校卒業で入学できる東京歯科技工士学院、帝国高等歯科技工士学院、東京女子歯科技工士学校、京浜歯科技工士学校から卒業し人たちや、歯科医院で働いていた歯科技工師達が営業権利を認めて欲しいとの動きが高まってきました。これも日本の歯科の歴史の中で「入れ歯細工師」が、「歯科技工士」に変化しただけなので当然の営業件の主張だったのでしょう。中には、昭和14年頃に大日本歯科技工師会(花桐会)は、「我々歯科技工士は入れ歯師として直接患者の義歯を作っても良い」と独自の解釈を展開し、歯科医師法違反事件が続出していました。結果的はこの一連の事件が、「歯科技工法を制定して歯科技工士の業務範囲を限定しておいた方がよい」との考えになったとも言われています。

戦前の日本はアメリカの学問を辞め、ドイツの学問を取り入れようとしました。ドイツでは歯科は医科の中の一分野で、歯科は外科、耳鼻科など他の分野と同じ医学校の中で教育を受けていたのです。この医科と歯科が一元なら、義歯、義眼、義足を作る人は技師の分野となり、歯技分業が明白となったはずです。 しかし昭和20年の敗戦後アメリカ軍事担当者の意見が反映された形で、昭和23年法律第201号医師法、昭和23年法律第202号歯科医師法が制定され、アメリカと同じように医科歯科は二元科しました。

昭和24年日本歯科医師会は「歯科技工士の存在は認めるが、アメリカでは試験制度や資格制度は法制化していない」と歯科技工士の法制化に反対しました。しかし、日本では長きにわたり「入れ歯細工師」文化が残っており、「歯科技工法」を獲得するために昭和26年歯科技工士資格獲得促進同盟結成され、昭和30年8月16日世界に類を見ない「歯科技工法」という業務法が誕生したのです。しかしアメリカと同じように医科・歯科を二元科した上で、アメリカには存在しない日本独自の「歯科技工法」の制定は、飯塚先生の仰るように「2種類の技工士が存在している」と言うことになってしまいました。

「歯科技工法」は日本の文化と歴史が生み出した貴重な法律であるとともに、日本の歯科技工士は平安朝時代の仏師から発達し、面々と引き継いできた由緒ある技術職だと理解いたしております。そして当然過去の入れ歯師より現在の歯科技工士は生体にとって、優れた高精度な義歯を作り出しています。しかし我々歯科技工士は過去の入れ歯師とは違い、印象採得、咬合採得、試適、装着を行ってはならない、「片翼の入れ歯師」であることはしっかり理解しておかなければなりません。そして現在もう一方の片翼は歯科医師にあるのです。

現在医師は、う蝕、歯周病、歯内療法が出来ます。歯科医師の資格のみで行えるのは、歯科修復と補綴欠損と歯列矯正です。そして我々歯科技工士は補てつ物、充てん物又は矯正装置を作成し、修理し、又は加工することができ、印象採得、咬合採得、試適、装着が出来ません。これはある意味、昔の「入れ歯細工師」の仕事を歯科医師と歯科技工士で分けた法律となっています。その意味では2種類の技工士が存在しているといえますが、しかしながら現法では歯科医師の免許で歯科技工を行うことは出来、そして歯科技工士は歯科医師の指示のもとでしか業を行えないのです。「片翼の入れ歯師」と書きましたが今の技工士は飛べるどころでしょうか、単独では生きて行くことも出来ない歯科技工士になったのです。歯科技工士も「戦後レジームからの脱却」と言って歯科技工士法を変えない限り、また入れ歯細工師には戻れないのです。

戦後、日本歯科技工所連盟そして歯科技工士資格獲得促進同盟ができ「歯科技工法」公布後、その流れを汲んで「日本歯科技工士会」が結成されました。その当面の活動としては、歯科技工士試験のための講習会を開くことでありましたので、その時日本歯科技工士会は厚生省管轄の公益に関する事業を行うための社団法人の道を選びました。しかし公益のための社団法人の道を選んだはずの社団法人歯科技工士会は、歯科技工士の既得権を得るための集団と化し、社団法人日本歯科医師会との敵対に歳月を費やして来ました。それは方翼になり単独では生きて行くことも出来ない現在の歯科技工士には、死を意味する選択だったのです。現在の社団法人歯科技工士会は過去の遺物で、役目を終えた不要な存在なのです。今こそ、歯科技工士は過去の日技と決別するときに来ています。  歯科技工士は真摯に過去を振り返り反省し、組織を立て直し、歯科医師の方々に深謝した上で、やせ細った方翼の状態と、今にも死にかけている心を理解いただき、歯科医師の方々に「やはりあなた方、歯科技工士は歯科の方翼であり、歯科は一科でなくてはならない」と言っていただく、努力をしなければなりません。 

歯科医師の陰でも日陰でも、歯科技工士として私は誰かのために役に立つことが出来たと思い、死にたいのです。そんな技工士の思いを理解いただければ幸いです。(誤字脱字ご容赦お願いいたします)


現存のものから可能なものへ !

 果たして歯科のどの部分が医療であるのか、どの部分を保険と言う範疇から提供すべきなのか。また歯科という枠組みの中からのみ提示しても聞き入られるものなのか。そもそも歯科医療の公的な現物給付を望むか否かは、我々歯科医療提供者が決めるものではなく、国民が決めるべきものである。

 我が国独自のものを希求するのか、他国の制度を多いに参考にするのか。たとえば欧州の国に見られるように、Access の減少は伴うだろうけど、原則医科において自己負担が発生せぬような仕組みならば、歯科は公的保険の給付外で構わないとの考えもあろう。どんな大病を患っても、家まで失う心配がなければ良いとするなら、歯科医療のために家財一式を手放す人も居ないだろうし、否定することも出来ない。尤も歯科の公的医療費の全てを差し出したところで、医科における患者負担分を賄うには遠く及ばないが。また試しに、歯科医療を公的保険から給付することを止めてしまうかわりに保険料を減額すると提言したとして、それに国民が是を唱えるようならば、我々がその程度のものしかこれまでに示せなかったということになり、それはそれまでで、新たなものを模索せねばならない。    現状歯科医療の殆どは公的保険から給付され、余りの Accessibility の良さが相俟って、いつでも極めて低負担で最高水準の医療が即座に受けられるとの誤解が一部の患者に生じているのかも知れない。これに対し提供者側からは、保険診療は一年通してのバーゲン価格で、更に7割から9割引のディスカウントと云う揶揄も出て、最早我慢も限界というのが事実だろうが、歯科商業誌上で見受けられるような余りに我田引水の提言は「社会的に歯科医療を提供する」ということには益を齎すに至らないであろう。医療と名のつくもの、社会的共通資本であるならば、知識の啓蒙や技術の研鑽は当然の話で、底上げ及び切捨てを含む均てん化も、畢竟は医療の在り方と現行制度の乖離から考えるべきことである。

 話を元に戻すと、歯科医療の一部か全部かを公的保険の範疇から外す、外さないということよりも、国民の思いを外さないことを考えるべきで、『沈黙は暗黙の承認を意味する。(※1)』とのジャン・ジャック・ルソーの警句にあるよう、お上で全てを決めてしまうのではなく、歯科医療の現場を起点とし、人々に問うことは重要なのである。理念を語れば無関心であろうし、利害が絡めば諸説紛々、甲論乙駁で、纏まりがつかないかも知れない。

 『ところが、ローマの人民が集会しなかった週はほとんどなく、それどころか、週に数回も集会した。ローマの人民は、主権者としての諸権利だけでなく、政府の諸権利の一部をも行使した。(※2)』

 望ましい方向性を見つけるまでに、聞くべき意見は聞かねばならない。そして、

 『現存のものから可能なものへ、と論ずることは、健全なやり方と思われる。(※3)』

(※1,2,3)「ルソー社会契約論(桑原武夫、前川貞次郎訳)岩波文庫1979年・第32刷」より抜粋

October18, 2007 / ZOSO wrote


医療における三つの囲い込み !

囲い込みとの言葉があります。ここで申し上げるのは勿論最近話題になっている資源の囲い込みのことではありません。経営において語られる顧客の囲い込みのことです。医療においても近年この言葉が用いられることが多くなりました。

ひとつめは、医療提供者の行う患者の囲い込みです。既に医療経営の観点から、このことが言われるようになって久しいですが、現在医療提供体制に大鉈が振るわれようとしています。そこで診療所にゲートキーパー機能が付与されると、患者の囲い込みの為大病院はサテライト診療所の開設を加速させるかも分かりません。また一般開業医に夜間や休日の診療体制を求められるとすると、フランチャイズ制が普及してくるかも知れません。つまり医療連携体制に関わって生じてくることです。

ふたつめには、保険者に依る医療機関の囲い込みがあります。保険者機能が強化されれば、保険者が医療機関を選別することになります。レセプトオンライン化に依ってよりデータが集積されると、患者の誘導が行われることも考慮すべきです。保険者の直接契約となりますと、それは医療機関の選択そのものです。つまり保険者が良質の医療機関を選択して囲い込むわけですが、何をもって良質とするかは、我々医療提供者とは評価の方法が異なることを踏まえておかねばなりません。

そして、このふたつの囲い込みに依って地均しが完了します。医療提供体制の改革、医療機関と保険者の関係の見直し。その次に来るものは医療保険制度のあり方そのものです。公民ミックスとか公民二階建てと呼ばれるものがそうです。みっつめに生じるのは極めて大規模な囲い込みとなります。「利害の抵触」という言葉から調べ始めれば分かりますが、話はそこで止まりません。

昔々に鉄道会社に依る囲い込みというのがありました。××鉄道のターミナル駅には百貨店があります。乗り換えて終着駅まで辿り着けば劇場や遊園地に行くことも出来ます。勿論鉄道は職場のある中心地も通っていますし、沿線には住宅地が開発されたわけです。その時の小林一三には、民の喜ぶ姿を見たいとの思いがあったことでしょう。

さて今日想定されている医療における囲い込みですが、そこには民の為との理念があるのでしょうか。

○○医療保険という列車に乗って、○○診療所という駅に行きます。そこから○○病院という終着駅へ行くように指示されますが、途中○○医療ローンで乗り換える必要があります。乗り換えてまで行くのが困難ならそれまでです。ついでに申しますと歯科医院なら売店の扱いかも知れません。

医療において一般の方々は果たして囲い込まれたいのでしょうか。これはアメリカにおいて既に言われていることではあります。

by Zep-検2007年5月28日)


混合診療の拡大 !


 混合診療の導入は、選択肢が増えるが為、一部の富裕層には福音を齎すといわれます。然しこれは医科における話であって、実際に混合診療が導入済みと誤解される歯科においては、患者利益の観点から更に望ましいことがあるのか疑問に思われます。
 既に自由診療を望み、それが叶う患者は、51年通知に沿うか、または準用と呼べるかの形で治療を受けているわけです。混合診療の導入は、必ずや保険適応範囲の縮小を伴いますし、何より厳密なルールの下に行われる筈です。
 揣摩臆測に過ぎませんが、最近になって先に述べた準用が問題になってか、恰も入り口で峻別するかのような事象も認めることが出来ます。米国における受診時にHMOを選択するか否かのような手法も二階建と呼べるのでしょうか。

 混合診療の導入とは自由診療の増加と同義ではありません。保険診療を行う限りにおいては、これまでの自由診療に制約を与える可能性も生じます。 歯科医の中でも市場原理・競争原理の導入に依って自由診療の大幅な増加を望む声もありますが、進むであろう方向は、皆保険制度の解体に依る医療の自由化ではなく、皆保険制度存続の下での混合診療導入、公民二階建でしょうし、其処に縛りが認められない筈もありません。また可也の給付範囲縮小が行われるのであれば、補完するものが現れると考えるのが理に適います。

 前世紀の終わり頃には、医療雑誌にて「厚生省の若手官僚は医療の自由化に対し腹を括った」との文章も見られました。今世紀に入ってからは、医療関係者にブラフをかけ、一般の方々にアドバルーンを上げるような規制改革会議筋からの提言を数多目にすることとなります。

 然しながら政府、国家に依る共同謀議が成立するのでなければ、落としどころが探られることになります。兎も角は、医療の現場から遠く離れたところで綱引きが行われているのでしょうか。

 様々な利害が錯綜するこのような場所に、歯科商業誌上で見受けられるような「今後の歯科医療への提言」が余りお呼びでないことは認識せねばなりません。

 自由診療の増加が、質の向上の観点からも望ましいと考えるのであっても、意味を取り違え「混合診療の拡大」という言葉を安直に使うのは好ましくりませんそれよりもこれまで為される事のなかった「保険診療という制度の開示」を優先的に行うべきなのではないでしょうか。為された医療を評価するのは患者であるといわれます。それならば制度を評価するのは国民であるべきです。その国民の全てが医療に透明化を求めていたかに就いては些か疑問も感じますが、最早今日要求される透明化に依って、これまでの様な「物語」が成立することもなくなりそうです。一番に踏まえておかねばならないのはこの点であろうと思います。


Zep wrote / August23, 2007


医療機関の倒産、その影響は軽微 !

 全国的に配信された記事に依れば、近年の医療制度改革、診療報酬の抑制にともなって医療機関の倒産が増加しているとのことです。又これらは氷山の一角であり、資産を食い潰して生き永らえている現状では、今後も医療機関の倒産は増加の一途を辿るであろうとの予測です。しかし医師や医療機関の不足している地域は由々しき問題があるとしても、過剰な地域では住民への影響は短期的なものに止まるであろうとのことです。つまり国民に対するその影響は軽微だということですが、恐らくは医療費抑制政策が是認されることになります。競争の激化する過剰地域において退場を余儀なくされた医療機関は、その存在自体が「医療費の無駄」であったとも換言されかねないことになるからです。

 さて歯科医療機関は、全国において不足している地域は極一部を除き最早見当たらない状況です。ここ数年、歯科医療費の著しい増大など認めませんが、歯科医院が淘汰されることは無駄を省くことと解釈されるでしょう。そもそも虫歯の数が減ってきているのに、何故歯医者の数は減らないのだとも言われて居るのです。或る雑誌に載せられた記事を切っ掛けに歯科医院の経営の実態が世間にも認識されつつあります。しかしそれであるならば、世間一般の考えとしては、歯科医院の倒産が増加するのは何等不思議ではないどころか当然であるともいえるわけです。

 現在の異常な低金利においては、事業を起こし継続するに、利益の出せないことは一種のモラルハザードだという考えがあります。逆に医療機関に対しては、多くの中小企業が赤字に喘いでいるのに、この利益率では更に収入を抑制する余地があるとも言われます。兎も角は効率化せよとのことでしょうが、世間一般に流布されている正論とは、このようなものです。正論と言っても、そのレベルを問わねば星の数ほどあります。

  もう進むであろう方向が見えて来たとも思えます。然しながらそれを最も望んだのが我々で無いのはまた事実です。追い込まれるのに加え、誘き出されるのがまた斜陽産業であるからなのでしょうか。本当の理由が分かるのは我が身に降りかかった時であることは言うまでもありません。

 この先、年金と医療が喰い合いになった時には勝ち目は無さそうです。教育ローンと民間医療保険を橋頭堡に我が国における教育と医療の分野を子会社化しようとの国家があります。また他の先進諸国においても今後企業の食い扶持は「環境」と「健康」しか無いのではないかと言われています。何ひとつ我々にとって有利な材料は見当たりません。

我々の置かれている現状はそのようなものであると承知しながら、明日の午前にはまた診療業務に向かうこととなります。

July29, 2007 / ZOSO wrote


保険者機能の強化 !


 去る5月17日に、政府の規制改革会議と厚生労働省の間において、レセプトの直接審査に関する公開討論が行われました。要するに保険者機能の強化に関して始めの一歩であります。「保険者が自分で審査したり、他の組織に審査を委託する事を禁じる権利は政府にない」とのこと。これまで中間の審査組織は文字通り中間であったわけです。私たちはその防波堤を失うのでしょうか。又審査の在り方が「パターナリズムに陥っている」とのこと。医療の現場にパターナリズムを求め、審査においては自由自在な査定を行う。無茶苦茶な話ですが、そう解釈出来るのかも分かりません。兎も角自由な委託機関の話が出ておりますので、新規事業の開拓か経済の活性化か存じませんが、審査会社が乱立して来るのでしょう。そして審査会社が行うのは、審査には留まらず、医療機関の選択に就いて「助言」をすることが予想されます。保険者の直接審査の次には保険者の直接契約があるのです。即ち保険者機能の強化とは、そういうことです。又この先にはまだ話があるわけです。

 医療機関が統制経済の頚木を逃れて、競争原理、市場原理を追い求めようとしても、先に出て来るのは「値引き」の話です。考えてもみれば呑気な話で、前世紀末には医療経営誌において「医療機関が保険者に選ばれる時代が来る」と言われていた次第です。特に歯科の場合は、先にやらなければならない事があるのに、潜在需要の掘り起こしや新規需要の開拓の為に提言をしていた。酷い言い方をすれば、公共事業と車検制度に弱小商店街の活性化、これらの悪いところをごちゃ混ぜにしたような手法で提言したとしても誰にも相手をされないわけであります。保険制度そのものを蔑ろにし、余所見をして、言い訳ばかりをしていた報いを受けるのでしょうか。それともなし崩しに別方向に向かいましょうか。その先に待つものが、更なる選択と値引きでなければ良いのかも知れませんが。

 「患者は素人だから、保険者が通訳の役割をするのだ」と申されたのは、故下村健氏です。これは医療の現場における患者と医療者の裁量権に大幅に介入することを意味します。それがただその時だけ「安上がり」で、患者の生涯の健康を考慮したものでなければ如何でしょう。医療を「評価」するのに利害関係者の間で差異があるのは承知していますが、余りにも大き過ぎる隔たりというのが好ましくないのは当然のことであります。

   by Zep-検2007年5月25日)


リスク管理 !



 大きな制度変革のある時は、動かない方が得策だといいます。先ずは足許を見つめ直すことが大事なわけです。然しながら何の対策もとらないことはリスキーだともいわれます。そのまま読み取れば良いのですが、リスク管理が必要ということになります。事業を継続するにあたっては資金繰りが最も重要ですが、ここは経営のことを語る場ではありませんし、第一こんな誰にでも分かる話をしても仕方がありません。

 個人開業であれば、大組織の様に責任のたらい回しをすることも出来ませんので、リスクを一身に引き受けるのは開設者たる歯科医になります。然しながら「だから良いではないか」との甘えが多くの歯科医に有るのではないかと考えられます。これは、個人開業が主たる歯科界の甘えといっても過言ではないと思われます。様々な業界のコンプライアンスやリスクマネジメントの在り方が問題になっていますが、ひょっとすれば歯科界は最も甘い部類に入るのかも知れません。

 ここで「患者の為に」との言葉が出て来ます。最優先事項はマーケティングでもアメニティの追求でもありません。リスク管理です、それも患者の為のリスク管理です。この目的の為には広くからの意見、様々な知見が必要になります。「旧套を墨守する」必要はありません、しかし「巧遅は拙速に如かず」との言葉もまた当て嵌まらないのではないでしょうか


June21, 2007 / ZOSO wrote


ゲートキーパー、そして世界の終わり !

 我が国の医療において一般の方々に対しても遂にゲートキーパー制の考えが姿を現した。イギリスの制度を引き合いに、此れが語られ始めたのは前世紀の終わりのことであるが、実際に此の制度が施行されたとして、結局のところ紹介状が乱発され、何一つ「改善」されないのを防ぐとすれば、患者を他医療機関(専門医及び病院)へ紹介することにデメリットを、紹介せぬことにメリットを与えるように「誘導」されるのであろう。まさに「門番」としての役割である。

 私は、以前からゲートキーパーをいう制度のことを聞かされる度に、一冊の本を思い起こしていた。村上春樹の『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』である。 白状すれば、私にとって一番の愛読書は、この本である。序に言うと、悲しい哉『カラマーゾフの兄弟』の十倍は繰り返し読んでいる。この本は「ハードボイルドワンダーランド」と「世界の終わり」という一見別々の物語が交錯する構成になっているが、「世界の終わり」においては、決して越えることのできない高い壁に囲まれた世界で物語が進行する。其処で「門番」と呼ばれる者が登場するが、「門番」はその街すなわちその世界に来た者の「影」を切り離す。「影」とは、その人の記憶であり、また心でもあるのだ。この物語において結局主人公である「僕」は、「僕には僕の責任があるんだ」と言い、人の心を捨てきれず、森の中へと追放されることになる。

 さて我が国の医療においてゲートキーパー制が機能するとしたら、人の心を捨て去るのは、門番たる医師なのか、主人公たる患者なのか。

 日本医師会はゲートキーパー制に「患者の受診機会を損なう」として異議を申し立てた。私は患者でもなく、また国民としてでもなく、ただ単に人として、ゲートキーパーという考えに抗いたいと思う。

by Zep-検2007年5月14日)


3Pか4Pか・・・医療のStakeholder !


 前々回に、医療のStakeholder(利害関係者)は、Patients(患者)、Provider(医療提供者)、Payer(支払い側、保険者)であると書きました。この3PにPharmaceuticals(製薬会社や医療機器会社)を加えた4PがStakeholderであるとも言われます。医薬品や医療機器に関する情報は共有すべきものであり、その透明性は確保されねばなりません。また製薬会社や医療機器会社であるなら、医療の現場に直接的、間接的に責任を負わねばなりませんから、医療政策の立案に関与する必要があります。

 今、医療政策は大きく変わろうとしています。医療安全対策、混合診療、そして医療のIT化。医療においては、他のStakeholderと信頼関係を築き、互いの利益を実現させるには、Patient's View(患者の視点)を最重視せねばなりません。

 譬話です。情勢が変化して、金利が1%上昇することに依り、金融機関から相当にお灸をすえられるPharmaceuticalが在ったとします。これが医療政策の変化に依って、その危機を脱したとして、患者の利益には余りに関与しません。結果論であるのなら構いませんが、一方で医療の現場における効率性を求め、もう一方で経済の活性化の為に要求を上げるということがあれば、互いの信頼関係を構築出来る筈はありません。

 医療制度改革に関する議論で、Pharmaceuticals及び周辺産業が、如何様にコミットメントして来ているかは、遡及し、そして注視する必要があります。同様に、Payerにせよ我々Providerにせよ、Patient's Viewが最も重要であると考えるのならば、先ずはPatientsに問う姿勢を忘れてはならないのです。

   by Zep-検2007年5月14日)


柔軟な対応 !


『時代の変化への対応力に優れた柔軟な社会を創造する必要性がある』

 実にその通りだと思います、全く異議はございません。少子高齢化の到来に依って、システムが硬直化したままでは、社会そのものが立ち行かなくなることは想像に難くありません。その為に変化に即した柔軟な対応を求めるというわけです。然しながらこの柔軟な対応を求めるのが、権力や資本の持てる側からの一方通行的なものであれば如何でしょう。話がすり替わって、持てる側の都合のみにて語られると問題であります。「労働市場の柔軟性」において、どのような議論がなされたか、どのような方向性が示されたかを思い出してみると良いかも分かりません。

 我々医療従事者も、日々変化すると言われる医療制度に対応する為の柔軟性を求められています。変化に適応出来なければ、淘汰も已む無しと言われます。確かに「淘汰の時代」を声高に叫んだ周辺業界の方々が淘汰されるのを見るにつけ、理解も深まったのですが。兎も角我々が柔軟な対応を求められるのは「明日には仕事が出来なくなっているかも知れない」と換言出来るのかも知れません。 時限爆弾を抱えたまま地雷原を歩いているかの如くに思える時も少なからずありますが、個々人で対応可能なことは出来る限り行うことです。これは言うなれば当然のことであります。

 さて医療(保険)制度にも柔軟性を与えよと言われます。はじめに申しましたように少子高齢化時代に即した変革が必要であろうとは思います。然しそれが一方通行的であれば「明日には医者にかかれなくなる」時代になるかも知れないということです。ですから決めるのは本来「国民」であるわけです。逆に連帯責任を負うことを放擲してしまえば、もう体は為さないとも言えます。

by Zep-検2007年4月21日)


「医」と「療」 !

G3 inspired

 高齢化の進展に依って皆保険制度が危殆に瀕し、保険では十分満足のいく治療が受けることが出来ないと盛んに喧伝されると、その点からは確かに自由診療を希望する方も増えてきます。わたしはご批判もあるや知れませんが、歯科における「51年通知」は決して分かりにくいものではなく、また年月をかけて認知されたとも考えています。そして混合診療の議論が広がり始めた当初から、この手法を医療全般に用いることは出来ないかとの考えもあったわけです。わたしも「通知」で示された如く「患者からの申し出があった場合」に限って自由診療を行っています。確かに希望されているのですから、ご本人に対する疚しさみたいなものは一切ございません。しかし幾多の先人に依って築かれた国民皆保険なる制度に対しては時に申し訳なくも思います。

 補綴は医療の範疇には在らず、確かにそうかも分かりません。

 補綴処置に保険給付が認められる国は極めて稀、これもそうか分かりません。

 医療と医業はまた別物と言えますが、一般の方は「医」と「療」を区別して受診してくるわけでもありません。

 偖どうあるべきなのか、、、わたしは答えを持っておりません。

 われわれの仲間のひとりは、こう言いました。

 『このままいけば、歯科は最早「医」とも「療」とも呼べなくなるのではないか』

 その彼もまた明確な答えを持っているわけではないのです。

 果たして答えは見つかるのでしょうか。

   by Zep-検2007年4月5日)


保険医と自由診療専門医 !


いっそのこと、保険医と自由診療専門医を分けてはどうかとの考えも有る。保険診療と自由診療の分離に就いては、実はビジネス界の一部にもこの考えが有る。客観的な疾患と主観的な疾患を分けて、後者を株式会社に任せて欲しいというものだ。言葉の問題や言い回しは兎も角として、まあ言いたいことは分かる。参入するにあたって国民のコンセンサスを得る為には、このような話になるであろう。要は、医療のベーシックな部分と、そうでない部分を制度上分離しようとの考えだ。

歯科医療においては、たとえインプラントや金属床義歯の場合でも、それが不必要なものであると考えた上で行う人はいない。即ち客観的といっても、何を基準にベーシックな部分とするのか、また医療の進歩に合わせてベーシックな部分を拡大するのか、逆にどこまでも市場原理に任せて縮小させるのか明示されなければ、何処からも、誰からもコンセンサスを得られない。この定義が曖昧なままでも、保険診療と自由診療それぞれを扱う医療機関を完全に分離した場合、保険医療機関であることを選択したなら、国民の基礎的な医療を守る為に、保険医療制度に仕えるということになろうか。しかし私は何故か、昔の中国における宦官(かんがん)を思い起こしてしまう。去勢された医療と言ってしまえば、余りに品性を欠くかも知れぬが。


by Zep-検2007年3月14日)


ハーモニー !


 医者と看護師の関係は「車の両輪」だと例えられることがあります。

 看護の仕事のひとつは「生活介助」です。生きていく上での手伝い、食事、着替え、排泄の手伝い。そのチェック。体温、脈拍、血圧、意識状態のチェック。

 医師は、時として侵襲的な治療を行う。看護師は、その治療を介助をし、それによる生活変化を介助する。別の仕事をする、片方が泥を浴びている時に、舗装路を快適に走っていることもある。場合によっては別の方向を向いていることもある。両輪というのは、いいたとえだと思います。今は他の医療職が増えたので、あまり言われないようです。

 さて、歯科医師と歯科衛生士の関係はどうでしょうか。

 両輪ではないと思います。タイヤとホイールの関係ではないでしょうか。同じところを、同じ方向に走っている。その時々で、外側と内側が入れ替わり、地面に直接に接する役割が変わる。同じところを走っているゆえの、対立(不満)、スケーリングをだけがやるかとか、があるのではないでしょうか。

 「チーム医療」を、私は、オーケストラのようなものと考えています。

 全体として、ハーモニーを奏でる。高音域を担当する部署、低音域の担当。ある曲では高音ばっかりで、特定の部署が忙しい。もうちょっと、こっちが響かせたい時もあるでしょう。

 目的は、きれいなハーモニー。


by asahai(2007年4月4日)


絵に描いた餅?文章の中のブリッジ、義歯?では食べられません !


今、会の中で

……国会での桜井議員の質問---「歯周治療と補綴は両立していいのか」……

……厚生労働省の返答---「一般的に望ましくない」……

この部分で問題が起こってきそうだと話題になっています。

歯周治療とは、一般に歯槽膿漏の治療のことで、補綴(ほてつ)とは冠を被せたり、歯を失った所に入れるブリッジ、義歯を装着したりすることの総称です。
上の厚生労働省の返答から、口の中全体で歯周病の治療が完全に必要がなくなるまで、義歯やブリッジが、入れられないということにつながる恐れが出てきています。

例えとして一般の生活習慣病で考えてみると、胆石の手術を受けようとすると生活習慣病の高血圧や糖尿病があるからこれを改善してから手術をしましょうという事は、良くある話です、でも 高血圧や糖尿病のお医者さんによる管理が必要なくなるまで(つまり完治するまで)手術をしませんと言われたらどうでしょう?

普通、お医者さんの指導管理の下で投薬などの処置を受け、基礎疾患の症状がある程度安定して改善してきたら、早々に手術を受けるのが通常ですね。

歯周病の場合でも、症状が安定して改善してきたら、まだ歯科医による歯周病の指導管理下であっても 歯周病が落ち着いたところから 早期に義歯や冠・ブリッジを入れて、咬みあわせを安定させ、まだ弱い歯に咬む力を集中させないようにし、さらに歯周病を改善させる必要があるのです。咬み合わせの管理は歯周病を治療する上でとても重要なポイントなのです。
ところが、ここで上で述べた問題が引っかかってきます。

「入れ歯を入れてくれ」「咬めるようにしてくれ」と歯医者さんに行っても、歯周病が完治し、治療の必要がまったくなくなるまで補綴処置が出来ないとなると、いつまでも咬めないままで過ごすことになってしまいます。患者さんの目標はあくまでも、「噛めるようになりたい。」なのですが……。

その時のためということで、歯周装置という仮義歯や仮歯が保険の項目にはありますが、歯周手術をした時だけとか、とても採算に合わない(赤字を覚悟で治療しなければなりません。コストを吸収するほどの診療報酬は設定されていないのです。)保険上の制約からまさに絵に描いた餅、誰かの机の上の文章にあるだけの義歯や仮歯となっています。

そして、保険で補綴が早期に出来ないということになると、保険の中の補綴処置は、絵に描いた餅、文章の中に書いてあるだけの処置になってしまい、自費で全額自己負担で補綴処置をしなければならないことになってしまう可能性がでてきます。

今でも、混合診療という名前で、全額自己負担の項目を増やそうという流れがありますが、保険の中に書いてある処置が絵に描いた餅、文章の中にあるだけの義歯で、実際には全額自己負担しなければならないようになったとしたら、はたして、患者さんが求める医療といえるでしょうか?

必要な項目が絵に描いた餅のように実際に出来ないようになって、保険の財政が助かる?
そんな保険診療の守備範囲が狭まることへの心配が増えてきています。

   by グズ 2007/03/25


当たり前の命題 !


医療を含め増大する社会保障費を抑制せねば、国家の財政は危殆に瀕すると盛んに喧伝されている。この国の財政に就いては、既に破綻しているというものもあれば、総債務残高ではなく純債務残高で見れば問題はないという意見もある。またどちらも噴飯物の嘘っぱちと言う人もいて、その認識には極めて幅が有る。無責任な言い方をすると、だいたい奥の院の暗箱の中身を知っている人がいれば、挙手を願いたいし、是非御教示戴きたい次第である。

兎も角、この国の財政赤字の原因は、高齢化でもなければ、医療費の増加でもなかった筈だ。依って持続可能な皆保険制度の再構築をといっても、そこに良識有る国民の視点が含まれねばならないし、意見が取り入れられねば話にならない。このことは今迄に何遍も述べたし、こらから死ぬ迄の間に何百遍言うか分からない。今はまだ歯科衛生士の家内が辛うじて聞いては呉れているが、そのうち愛想を尽かされるのではないかと心配もしている。

確かに財源問題は重要で、その点を議論するに吝かではないが、それ以前に我が国は世界有数の先進国なのである。我々医療提供者が、皆保険制度や医療制度に就いて何を提言するのかは、言い換えれば国民に如何なる医療環境を提供したいのかということに他ならない。 これは分かり易く言えば、全国どこの診察室や病室においても、患者の笑顔が見られ、その笑い声が聞くことのできる環境を構築することではないだろうか。 これは奇麗事でも何でもない、至極当たり前の命題である。

念を入れて言うと、超高齢化社会に突入した我が国は、医療のみならず社会保障の行方を、世界中から固唾を呑んで見られる先進国なのだ。


by Zep-検2007年3月10日)


医療崩壊とは言うけれど !


 小松秀樹先生の著書が有って以来、「医療崩壊」が盛んに言われている。効率性の名の下に医療費が抑制された上で質の向上を求められ、病院の医師や看護師は超過密労働に加えて訴訟のリスクに晒されれば、医療者の逃散が起きるのも当然と言える。又この医療費抑制と患者からの過大な要求は、診療所レベルにおいても医療者のモチベーションの低下や逃避行動が生ずる。歯科においても、保険診療の忌避や歯科衛生士の有職率の低さ、最も割を食う歯科技工士の離職率の高さに表れていると言える。医療の現場が疲弊しているのは厳然たる事実であるし、「医療崩壊」というのは患者や保険者に対する威しでも何でもない。

 然しこれが一般に、傍から見るとどうなのか。産科や小児科、救急医療に就いては理解されたとは言えようが。

 職業別電話帳を見てみると、夥しい数の医療機関の広告が載っている。一面を割いたものも有る。診療時間や休診日を知らしめるのには、必要以上のものが多い。地域に密着し、公共性のある職業だからと言われれば、そうかも知れない。また緊急性という視点もあろう。然しこれ程電話帳広告に力をいれているのは、他には運送業や貸金業、興信所といったところか。 私も、私や家族が医療機関にかかる時にそれを利用することは有る。また私の診療所は、広告宣伝費が一切発生していないが、宣伝しないことが宣伝になっていないかと言われれば、そうかも知れないし、否定もしない。依って何も広告することを否定しているのではない。 また近年では、電話帳よりインターネットでホームページ等から調べることの方が多い。そしてここでも数限りない医療機関が競い合っているように見受けられる。ホームページを作製するのは、予め誤解を生じないようにする為のものでもあろうし、患者の啓蒙・啓発という点で素晴らしいところも有る。然しながら又、疑問に感ずるものも多い。患者というか、傍から見れば、其処には「来て欲しくてしようがない」経営者の姿が見えるのではないか。医療者の逃避、逃散と言っても、実際において、先ず目にするところがこの様なものであってみれば、説得力を持たない。

 繰り返すが、私は何も広告業やその利用者を批判しているのではない。或るひとつの側面から「何かが欠落し、齟齬が生じることに依って、現場が疲弊しているのではないか」と述べているのである。 実はこのことは、別の側面から見ても、医療に関わらず、あらゆる業種において生じている。同様に極めて公益性の高い「教育」に関しても然りだ。医療では現場そのものと経営とが一体化していることが多い為、これが強く認識されるとも考えられる。

 偖、何が間違ってしまったのであろうか、何かが行き過ぎてしまったのではないであろうか。

 社会の良心とでも言うべきものが喪失してしまったのではないか。

 いま必要なのは、有意の、下心ではなく思慮分別を持つ市民であると思う。


   by Zep-検2007年2月26日)


補綴物というアキレス腱 !


補綴物(歯科技工)の評価の問題は、我々にとってアキレス腱である。
国の医療費抑制の方針には、保険給付範囲の見直しも含まれており、補綴が縛りを受けた上で、保険から外れることは、相当以前から囁かれていた。補綴は本来医療の範疇に含まれないとされている。また補綴の保険からの給付を認めている国は極めて珍しい。しかし勿論患者は、こんなことを知らないし、一時に殆どの補綴物が所謂給付外となるなら、前もって周知された場合の駆け込み需要と、現場に丸投げされた説明責任を考えると気が重くなる。 歯科医療の質の確保の上で財源に問題があるなら、補綴の負担割合を変更するという考えもあるが、それが皆保険制度に適うものかどうか私は分からない。

さて歯科医療の提供者側にも、こういった流れを望むところとする向きもある。何を望んでいるにせよ、支払側やこれを好機到来と目論む外野の勢力は、既に現時点で、保険給付の内外を問わず補綴物(歯科技工)を幾らほどで歯科医師が歯科技工士に「お願い」しているのかを十分にお見通しの筈である。

保険給付内の補綴物は、それがたとえ十割負担であったとしても兎に角安い。すると一部の患者には安かろう悪かろうの劣悪なものではないかとの考えも生じる。要するに保険診療が余りに低額である為、全くに桁の違う自由診療を選択しようとする心理が働く。これは提供者側が無理矢理に誘導しようとせずとも起こることなのだ。しかし未だ多くの場合、その患者の評価は歯科医師や歯科技工士の技術に対してではなく、モノそれ自体に対して為されたものだとも言える。

私が以前に見学させて戴いた非保険医・自由診療専門の歯科医院では、歯冠補綴の料金設定において、形成料>補綴物であり、患者からの費用徴収はその都度であった。これは、生体に不可逆的な侵襲を加えることに対する責任感と自分の技術に対する矜持の表れであると感じたが、また補綴物=外注技工料金であり、調整、装着料はこれ等に比べ、極めて低額でもあった。形成料>技工料が正しいのか、形成料<技工料の方が望ましいのかは兎も角、技術の理想的な評価とは、こういったものであろうと思う。

歯科医師が保険診療における補綴の不採算性を訴えるのは、患者サイドに対しても、技工サイドに対しても、実は全くのお為ごかしに過ぎなかったのではないか。我々がこのアキレス腱を抱え、歯科医療に対する正当な技術評価を得られぬままに、予測されることが現実となるのなら、それはまさにアキレウス最後の闘いとなろう。

弱点は必ず狙われるのだ。


by Zep-検2007年3月10日)



史上最強のフリーライダー !


 フリーライダーといえば、革ジャンを思い出すと言った人がいる。それは映画の「イージーライダー」だ。また最強の、なんて子供じみた言い方をすれば、仮面ライダーを思い浮かべる人もいるか知れない。わたし達のネットワークにおいて、このフリーライダーを如何に排斥するかの議論がまた盛んである。何処の世界でも不正を行う輩はいるもので、更に言えば、義務を全く放擲し、権利のみを、それも得手勝手な解釈で利益のみを追求する人ともなろうか。

 しかし、今まさに史上最強のフリーライダーが誕生しようとしている。その名は「民間医療保険」である。それは現状遍く認知されたものとは異なる性格を持つ。現在普及しているものも何かと問題点が指摘されてはいるが。

 医療費は今後も増大し、国民医療費と医療給付費の乖離は10兆円に及ぶであろうと言われている。その数値が、何かと話題になる医療費推計から算出されたものかどうか、私はよくは知らないが、兎も角この10兆という数字が一人歩きを始めた感も有る。 そして、とてもじゃないが公的保険にて全てを賄うことは出来ないので、この部分を民間生保に担わそうということらしい。これが即ち「公民ミックス」または「公民二階建て」と呼ばれるものである。 患者そして国民の医療に対する要求は著しく高まってきているので、その全てを社会的に提供するのは不可能かも知れない。依って何か別に制度として補完する必要が有るとも言える。しかしこの新型医療保険の場合は、補完するといっても、結局のところ公的保険にて限度いっぱい給付してもらえば、何の為のものか分からなくなる。つまり肝心なところに関し、国に面倒をみてもらう保険会社なのだから、参入してもらってもどれだけ国民の役に立つのかさっぱり理解出来ない。また補完どころか代替することを考えてみれば分かるが、そもそも国は営利を目的として公的保険制度をやっているわけではないので、利潤目的の私企業が運営するとなると、給付に対する国民の負担が増大するのは当然と考えるべきだ(恐らく官には無駄が有って、民の手法を用いることに依ってなどと、紋きり口上が出て来るであろうが)。また低所得者や有病者など企業にとってリスキーな人は、結局国が責任を持てということになろうし、それではいったい誰が恩恵に与れるというのか。~ 
 つまり経済界が混合診療の全面解禁を望み、公と民の役割分担を唱えるのは、国庫そして国民の懐具合を慮ってのことではなく、自分たちの懐を暖める為のものである。このようなことが、ノーリスクでハイリターンと言われる所以であり、まさにフリーライド、ただ乗りと言えるのではないだろうか。

 そして話はここで終わらない。悲しいことに、まだ続きがあるのだ。


by Zep-検2007年3月7日)


修復は可能 !

 我が国は、国民皆保険制度をとっている。社会的に医療を提供する上で、自由開業医制、更に非営利の原則となると、これはもう御伽噺のようなものである。然し、曲がりなりにも今日に至る迄堅持して来られたのは、誇るべきことである。

 『理念が先行する社会−米国ではリベラル、欧州や日本では社会民主主義あるいは社会主義を志向する社会−では、経済活動のみならず、人間活動のことごとくの誘引を、公共的利益への奉仕に帰着させようとする。この考えはまったくの誤りではないだろうか。公共的利益を向上させるのは、自己利益を追求するごくありきたりの個々人の言動をおいて他にないのである。(※)』

 昨年この世を去った経済学の巨人ジョン・ケネス・ガルブレイスの言葉である。同じように最近亡くなった「小さな政府」と言えば通じる好敵手ミルトン・フリードマンと最近比較されることの多いガルブレイスだ。兎も角我が国の医療は、世界中からも認められる成果を為しえた。実にこのガルブレイスの言葉は意味深長だ。

 それが今あらぬ方向に進み、深淵を覗くが如くの状況である。

 ガルブレイスは、また別のところで『私企業が公的セクターに入り込み、一定の影響力を発揮しつつ、その業務を肩代わりすること(※)』に警鐘を鳴らす。

 多くの医療関係者の杞憂が現実のものとなり、この国の皆保険制度が実質崩壊したとして、それは、時を超え、時代を変えて「先人の知恵」として甦るであろう。また国境を越え、場所を変えて「異国の知恵」として生まれ出るかも知れない。

 然し、それ以前に修復は不可能なのか。風はいつも同じ方向に吹くとは限らない。

(※)「悪意なき欺瞞/ジョン・K・ガルブレイス著、佐和隆光訳−−ダイヤモンド社」より抜粋

   by Zep-検2007年3月1日)


脳内暴走 !

今朝、かみさんに言った事を何となく思い返しています。

秋篠宮妃紀子様が無事男児を出産なされました
NHKのニュースでは宮内庁長官と紀子様の主治医である中林愛育病院院長が会見して いる映像が流れている。
無事の出産に紀子様のお体の安定と、秋篠宮様や天皇皇后陛下のお喜びも大変なもの があると思います。
そして中林院長のほっとしたそして晴れやかな表情がなんとも言えず良かったのです。
世は産科の先生や助産師さんの過酷な状況がようやく知られてまいりました。
しかし、医師として苦労の先には中林院長のような笑顔があるわけです。

3日の公文先生の講演で、社会保障の視点を忘れてはいけないことを教えられました。
日本での医療は国民皆保険であり社会保障の範疇にあります。
ところが、歯科医療においては過去のキンパラ差額問題から発したと言われる、自費 診療と保険診療の並存、実質的には混合診療と言える状況を認定し、導入した事から 患者さん国民の中ではネガティブなイメージが熟成定着し、一方で憲法25条で保証 された権利を保障するセーフティネットである医療の役割を担う重要性が曖昧且つ忘 れられたものとなっていきました。

高度成長期、バブルからバブルの終焉、そして今に至る小泉構造改革まで国民医療保 険制度のとしての歯科医療はセーフティネットとしての役割を果たしながらも、その 経営基盤や就労環境は省みられない侭でした。
歯科医療関係者が高額所得者と見られるようになったのは、社会保障制度のセーフ ティネットとしての役割によるものではなく、自費診療と呼ばれる保険外収入による ものである事、患者さんや国民の目からはただ高額で歯科医師は儲かる職業だという 認識しか生み出さなかったことに理由があります。
本来、歯科医療の診療内容が進歩していけば、かかる経費や投資は増えて行き、それ がまた良い保険診療となって患者さんに還元されるべきでありました。 しかし、国による保健医療制度に於いてはその部分の進歩や投資、還元と言ったサイ クルは最初から無視されてきたか逆に押さえられる、押さえつけるべきものと判断さ れてきたようです。
結果、保険診療では多くの歯科医師自身が患者さんに提供できる最善の医療を提供す る事も、自身の判断で治療にあたる事も出来なくなっています。 そのような抑圧され歪んだ制度基盤の中で、歯科医療業界が今日まで永らえてこれた 理由は、先にあげた自費診療を並存する事を認めた国の思惑に大きな理由があると思 われます。
当然、その思惑の中には過酷な労働環境低収入にあえぐ歯科技工士の存在を無視する 事も含まれていました。
保険診療も自費診療も国民の健康や生活に付与する医療的又基礎的な実態を価値とし てみればまったく同じ物です。
本来差をつけるべきではないベーシックな部分はどのような立場の患者さんに対して も公平であるべきなのです。 だからこその社会保障であり医療が保険で賄われてき た理由です。
ところが、歯科ではそのベーシックな部分の経費負担すら国は保険からの支払いを躊 躇し、自由裁量の名のもと差額徴収自費診療を認めたわけです。

歯科医療を受ける側に差額を負担できる基盤とマーケットがあれば、このような制度 は問題なく続ける事が出来たのでしょうが、国家の責任放棄と実質的な国民負担増で ある事が国民の目からは意図的に隠され理解されなくなっていきました。
生活文化の向上と審美意識の高まりも自費診療を容認しつつも、歯科は高いしトラブ ルも多いと言うイメージを国民に植え付けてきました。 本来、国民が望んだもので あったにもかかわらずにです。
歯科医療提供者には、本来のセーフティネットとしての歯科医診療を維持提供して行 こうとする努力と共に、患者さんの要求にこたえなければならないと言う2重の負担 が掛かってきたわけですが、抑制され低下して行く保険点数という現実の中では、相 反する要求にこたえられなくなっています。
これらの過程で、自費診療の幻想が歯科医師にも生まれ、本来なら差額と言うものは 基礎となるべき良質な医療の上に提供されるべきものである事を忘れ、保険収入の低 下を補填するものであるとか、更に良質な品質を保証するものであることを忘れてしまう状況を生み出しました。

このような状況の中で忘れてはならないのが、歯科技工士の存在であります。
歯科医療と歯科技工とは渾然一体不可分のものであり、分け隔てするべき事象ではあ りません。
私の手元にある「木床義歯の文化史 新藤恵久薯」では、西洋的な医学から発展した 歯科と違い、日本独自の木床義歯創造の背景から説き起こし、日本古来の職人芸が現 在の歯科医療に繋がるまでを検証しております。
私が学んできた歯科史の中にも技工は歯科医師が行っており、後に歯科技工士を名乗 る先人達も直接に歯科医師に奉公するなどしてその技術を学び確立してまいったわけ です。 そして今現在も技工に取り組む歯科医師自身が多数居られる事からも、技工 の行為は医療そのものであることは明確な事だと思います。

この事実が何故に歪められ否定されてきたのかを、我々歯科医療に携わる全員が再考 しなければならない時期にきていると思います。
これに置きましては、異論反論もおありでしょうが、歯科医療業界内部での対立や相 互不理解、利害の相反が、国が営む社会保障制度の中でどのように醸し出され、どの ような効果や影響を与えてきたかを検証して行けば自ずと明らかになると思います。


                               by G3 2006.09.06


高齢患者は何処へ !


 厚生労働省は、その主たる対策を「高齢化」から「少子化」に転換し、また明言もした。にも関わらず、先の大臣の発言であるから、さぞかし頭の痛いところではあろうが。

 それは兎も角、高齢者医療費をいっそうに抑制する方針のようだ。

 後期高齢者医療制度が創設された。これは2008年の4月から開始される予定で、75歳以上の後期高齢者、及び65歳から74歳で障害認定(1級〜3級)を受けた人の診療報酬体系が別建てとなる。狙いは、高血圧など特定の慢性疾患で受診する医療機関を予め選択し、定額制とすることにある。

 わたしは二年ほど前に腰椎を患ってから、今では時々であるが、整形外科に通院している。わたしの主治医の先生は、たいへんな名医である。現にこの先生のお蔭で、杖も手放せたし、コルセットも外せた。罹患後今日に至るまでやってこられたのも、この方のお力に依るものだと感謝している。診断も処置も適切と評判で、依って多くの方々から頼りにされている。 整形外科学会の認定医であられるこの先生の医院は、患者サービスの一環として周辺地域に送迎バスを出している。いつも決まった時間になると、多くの高齢者の方がバスから文字通りはき出されてくる。皆が整形外科疾患を主たる訴えとして受診してこられるわけではなく、高血圧や糖尿病の定期検査や指導を受けておられる方も多いようだ。 偖、それではサロン化しているのではないかとの批判も出るや知れぬが、冒頭に述べたように疾患ごとに受診医療機関を指定することになれば、この高齢患者の皆さんは、どのようにされるのであろうか。

 アクセスに何らかの制限がかかれば、勿論受診動向に大きな変化が生じるかも分からない。それが目的だと言われればそれまでだが、肝心の高齢者の視点を全く除外するのは好ましくない。制度を改変するのは結構だが、患者にとって使い難いものであってはならないのではなかろうか。 そして何より、この半ば人頭制を目指す施策が、何故に先ずは高齢者を対象に行うのか。医療費の増加の原因は高齢者に有りということであろうか。はじめに削減ありきで、十分な検証もなく、誰かを、そして何かを悪者にすることがあってはならない。


       by Zep-

           (2007年2月12日)


社会保障制度にも耐震性を !


今後30年以内における確立は60%と50%。

歯科医院の倒産確立でもなければ、歯科医の想定失業率でもない。それぞれに東南海地震と南海地震の起こる確立である。フィリピン海プレートの潜り込みに耐えられなくなって生ずるこのプレート境界型地震に依る想定被害は、中央防災会議に依れば午前5時の発生で最大死者17800人、建物全壊36万棟、経済被害は57兆円に及ぶという。更に前回何故か動かなかったと言われる駿河トラフの東海地震を加えると、直接、間接合わせて最大81兆円の経済損失が生じるらしい。財政赤字や少子高齢化、更に人口減少に伴う経済規模の縮小等この国の将来の見通しに関して明るい話題は何もないが、地球物理学的にも我が列島は撤退戦に突入したのである。活動期に入ったと言われる内陸に目を向けても、いつ地震が起こっても何の不思議もない活断層が数多ある。私の住むところは、兵庫県南部地震の一年ほど前にその可能性が囁かれていたが、また最近定点観測に依り明瞭な地殻歪が検出されており、「神戸」の直前の状態に似ているらしい。わたしの診療所に向かって活断層は一直線に走って来る。それは目と鼻の先で急に右へと曲がるが、真上に乗っかっているのと何ら変らない。だから正直に言うと医療制度の改革の行方よりも地震の方が心配だ。又わたしは実は社会保障制度より地震に就いての方が詳しいくらいなので極めてたちが悪い。

前置きが長くなったが、兎も角この国は、今世紀中には必ず一度手酷い状況に陥ると考えられる。その時に残るものは社会の仕組みであり、国の在り方である。そして最も大切なのは人そのものなのである。「国家百年の計」という、社会保障制度は国の形であるから、そのような時にこそ真価が問われる。その場では間に合わないのである。医療においても効率性を求めるのは一見良いようにも思えるが、徹底的に病床数を削減し、公的保険の適応範囲を縮小してしまえば、激甚災害の際に医療費減免といっても、提供するものがなければどうしようもない。兵庫県南部地震の時も各病院が効率化の為薬剤の備蓄を余り持っていなかったと批判を受けていたことを思い出す。今では自治体が中心となって、医療においてもよりいっそうの防災計画が策定されてはいるが、それまでに医療制度そして国民医療が半ば崩壊した状態になっては間に合うわけがないのである。

就中東海・東南海・南海地震は、超高層ビルが立ち並ぶ現代社会になってから初めてのプレート境界型巨大地震なのである。その洗礼が如何なるものであるかは、現役の医師であり作家の石黒耀氏の「震災列島」における描写が生々しい。尤も石黒氏が想定する通りのものになれば、公的保険も民間保険も全く機能しない。社会保障に限らず文字通り日本は崩壊するかも知れない。然しそれまで刹那に過ごせば良いということにはならない。経済効率性ごっこは終焉するかも分からないが、国とは畢竟その土地に住まう人の総称でもあるのだ。兎も角地震・火山大国の我が国において、小さな政府を余りに追い求めるのは危険なのである。代わりに大きな自治体と言っても、各都道府県に対し単純に医療費削減を競わすようでは心許ない。建築物には耐震性が必要だが、社会保障等制度にもまた耐震性が必要なのだ。

先程から何を荒唐無稽なと思われるかも知れないが、来るものは来る、絶対に来るのである。2015年くらいに御前崎沖を震源に東海地震が起こると言う説から、南海トラフが臨界点に達する2060年頃に速やかに連動して東海・南海地震が生じると言うものまで様々だが、来るのが遅れるほどその規模は大きくなる。下手をすれば宝永年間のように富士山まで噴火するかも分からない、、、そういえば先の石黒先生は、この度「昼は雲の柱」と題して富士山噴火を主題に新たな作品を書かれた。レセプトオンライン化を皮肉るつもりは毛頭ないが、その際は理由を述べるまでもなく、e-Japan構想は水泡に帰す。

by Zep-

ネットワークというもの !


 英語の「Network」には、日本語で「網目状の組織」の意がある。更に「網目状の組織」とは、互いの差異を認め合う緩やかな連帯であると一般に認識されている。そして何かを変革しようとするなら、これに依るところが最も確実で望ましいとも言われている

 私達は歯科医療に携わるところの者であるが、その考え方には様々なものがあるし、幅も大きい。先日、当ネットワークで実際に会って語り合う機会に恵まれたが、其処で志向するところにおいて自分とは開きのある方にお会いした。向う気の強そうな彼は、いい目をしていて、考え方に違いがあるにせよ私の琴線に触れた。

 それで構わない、それが望ましいのである。私達は「国民の歯科医療を守る」という唯その一点において繋がっておれば良いのだ。余りに収斂したものであれば、網目状に広がることなど有り得ない。第一どうやって歯科医療の外の人達に語りかけることが出来ようか。
 また医療の中でも軽視されることの多い歯科にあってみれば、この国の社会保障の在り方に就いて疑問も多々有るであろう。ならば余計に、差異を認め合うことに依って医療や介護のみならず社会保障全体に関しても語ることが出来るのだ。
 個人や小人数であれば、荊を披き棘を斬るような努力をしたとして何も為し得ないかも知れぬが、それが星火燎原の如くに広がればどうなるか分からないのだ。

   最も困難なことかも分からないが、実は少しの努力で可能なこと。
それは互いの差異を認め合うことだと思う。

   by Zep-検(2007年2月13日)


混合診療は悪魔の贈り物? !


「機会のない自由は、悪魔の贈り物である。」
これは、アメリカのリベラリスト、言語学者のNoam Chomskyが、確か第三世界の医療に就いて述べた言葉である。
だから、たいそうな表現になるかも知れないので、「機会のない」を「選択することの出来ない」と置き換え、混合診療に就いて述べてみたいと思う。 混合診療は、医療費の抑制というより保険給付費の削減を主たる目的として導入されるのであるが、肯定的な意見として「医療者と患者の選択肢が広がる」というのがある。果たしてそうであろうか?
政府なり行政から、医療機関へ「新たなる所得源」として混合診療が贈られて来る。そして医療側から患者側へ「より良い治療法」として、また混合診療が贈られる。
しかし、ここで我が国の民の所得階層に就いて調べてみられるが良い。どれだけの人々が、この制度の恩恵に与れるか。
医療や教育は、国家の根幹を為す。
繰り返し問う、選択することの出来ない自由は、悪魔の贈り物では無いかと。


by zep


国民的議論 !


医療や介護、年金等社会保障は、国家の根幹を成す。言うなれば、その制度は国の在り方そのものです。依って社会保障制度を改革しようとするのであれば、国民的な議論が必要となります。国民という表現は、漠然として又大層なものかも知れません。市民(Citizen)と言っても差し障りが無いのかも分かりませんが、如何にも西洋的な響きを持ちます。そう言えば高校生の時に、フィヒテの「ドイツ国民に告ぐ」を「ドイツ市民に告ぐ」と教わった記憶も有ります。兎も角わたしは、国民という呼び方、概念みたいなものを好みますし、この言葉を用いて話をさせて戴きます。

超高齢化社会の到来を受けて何としても社会保障を抑制したい、又それが既定方針の政府は、持続可能な社会保障制度の構築として、「国民が・・・」「国民の為の・・・」等という議論を行うわけですが、主語としても、目的語としても、又形容詞であれ、国民という言葉を使う時、それを半ば騙っているとしか思えません。一方経済界にとっては、国民は即ち消費者で、「消費者の選択」「消費者の利益」という表現を用います。其処で消費者にもなれない国民はとなりますと、勢い社会的コストと定義されてしまいます。それでは我々医療提供者や保険者はどうでしょうか。国民という言葉を用い、自分達の損得勘定を代弁させてはいないのか。自らの利益や生き残りの為、また組織の維持の為に用いていないのか。こうなってくると、国民に真を問うというより国民という言葉、概念の奪い合いの様相を呈して来ます。かくして国民的な議論、更には国民的な合意なるものは、一握りの人達に依って成される事に、社会保障という国の在り方そのものが決められてしまう事になります。

再度フィヒテの言葉を引きます。

「人が如何なる哲学を選ぶかは、その人間が如何なる人間かに依る。」

字義通り解釈したとしましょう。構いません、立場を超えるべきです。国の在り方を考えるのなら、真に国民なるものの立場によって語るべきです。わたしはそう考えます。


by Zep-


効率性か公正性か !


 近年我が国において、医療に対する『効率性』の要求が高まっている。また此処で使われる『効率性』とは単に経済効率性のことであるといっても過言ではない。或る私企業の会長が、我が国の医療を指して「非効率極まりない」と述べた時あたりから、医療に対する経済効率性の要求は、より先鋭化する。然し諸外国に比して技術の低評価極まりない我が国の医療は、これ以上望むすべもなく効率化している。従って「彼等」が真に望むものは全く別のところにあると考えられる。

 そもそも医療には経済効率性という概念は馴染まない。医療提供者は、医療の質の評価を治療結果から行おうとするし、患者は、それを安全性や満足度からなそうとする。医療の質を評価するにあたって効率性を基準とするのは「彼等」である。また「彼等」が本当に評価する気が有るのかは、極めて疑わしいし、繰り返せば、他の先進諸国に比べて我が国の医療費が低いのは明々白々であるのに、更なる効率性を要求するのは、別の考えが有ってのことである。依って我々が、誰にとって効率的なのかと右顧左眄し、何を効率化すべきかなどと右往左往する必要はないのである。結論が出ているのに、態々『効率性』の部分においてやり合うことはない。「彼等」の土俵で延々議論を続けるのは、お人好しに過ぎるし、全く時間の無駄でもある。

 『効率性』というものに対立する概念は『公正性』である。公正とは、公平で偏りの無いことであるから、経済においても社会においても重要な要件である。

 ここでもまた「彼等」は、「自由で公正な」とか「公正な競争」などと単に市場経済の観点に誘くべく搦め手でくるであろうが、この論点のすり替えが二十年以上に亘って繰り返された過ちなのである。私たちにしても『効率性』なるものを全否定する気など毛頭無く、『効率性』と『公正性』のバランスの問題を、社会のありうべき姿を考える上から論じたいのである。またそこに「慈恵性」言い換えれば「思いやり」というものを加えてみれば分かる。余りに効率性を追求すれば、経済のみならず社会全体において何が出来するのかを。私たちのいうところは、「社会の公正性」「公正な社会」に就いてなのである。それを実現するに社会保障の充実が必要なことは論を俟たない。昨今言われるように著しい格差が生じ、それが医療や福祉、教育といった根幹部分にまで及べば、いくら「自由な競争」が活力を与えると言っても全く持って公正さを欠く。守るべき前提は守らなければならないのだ。私たちは、公共性・公益性を鑑み、社会保障の充実を望んで、兎も角国民医療を守ることの重要性を訴える。

 社会の公正性に就いて、社会保障の重要性に関して、国民が認識を同じくするのであれば、同時に医療の現場における公正性を求められるのは、まさにこちらの望むところなのだ。また『公正性』の部分を『透明性』という言葉に譲っても良い。詰まりは、そういうことである。


 さて冒頭で申した私企業の会長様、遂には「家を売ってでも」の件に至るが、如何お考えか。

   by Zep-検2007年3月4日)


良質な医療 !

良質な医療とは?と考えると、その本質はどれだけ訓練され勉強をしている医療スタッフ(医師、歯科医師も含めて)が、手厚く医療を行うかの医療スタッフのマンパワーによって決まるのではないだろうか?

たとえ、最新の機器が導入されているとしてもそれを使う医療人が前日から睡眠を取っていないとか、十分な休息を取っていないなら、十分な働きにはならない。

十分な人材の活用法は、働きに対する生きがいや誇りと、人材が得るものであることには誰も異論は無いであろう。

まだ、医師、歯科医師、医療スタッフは、その誇りを忘れていないようだが、医療費の低減だけを医療の効率化と言いくるめる限り早晩その誇りも消えていくであろう。

医療の効率化という言葉で医療費を下げると、長時間、多数の患者さんを診療してもペイ出来ない事は公立病院の赤字体質を見るまでも無く理解できる。

このような、医療のマンパワーへの締め付けは、診察力、技術や気持ちを持った医療人を疲弊させて、その医療人の最高の能力、技術、技能を発揮できなくしている。これこそ、良質な医療にとって、最も非効率的な状態である。

医療費を下げて、効率的で良質の医療を追求するという命題は成り立たない事を、まだ理解しようとしない人々が居る事こそ、良質な医療への妨げであると私は思う。

by グズ


高齢者の窓口負担の変更 !

8月・9月から変更の場合も

  医療保険制度の改悪により、70歳以上の高齢者の窓口負担が10月から一部変更となり、「現役並み所得の高齢者」(9月30日時点で2割負担の患者)の負担割合が2割から3割へと引き上げられる。 これに先立ち、これまで1割負担であった高齢者のうち一部では、8月1日もしくは9月1日から一旦1割負担から2割負担へと引き上げとなり、10月から3割負担となる患者があるので注意する必要がある。 これは、「現役並み所得」の基準が税制の改定に伴って変更されるためだ。具体的には05年度からの配偶者特別控除の一部廃止により、夫婦二人世帯の場合、これまで「現役並み所得」の基準が年収621万円以上であったものが520万円以上に変更になる。これにより、「現役並み所得者」数は120万人から200万人へと80万人も増加、1.65倍になる。この実施時期は、国保の高齢受給者と老人保健法対象者は8月1日から、社保の高齢受給者は9月1日からと時期が2つに分かれ、そこから一旦2割負担となる。そして、10月1日からは3割負担へとさらに負担割合が引き上げられることになる。 医療機関としては、それぞれの受給者証に記載されている一部負担の負担割合を注意し、再確認しておくことが求められる。 なお、今回新たに「現役並み所得者」になった場合には自己負担上限額を「一般所得者」並みに抑える経過措置(2年間)が設けられており、在宅時医学総合管理料を算定している場合は、月・12,000円が上限となる。この場合には、受給者証の「一部負担金の割合」欄に、「自己負担限度額は『一般』適用」などの記載がなされているので、これにも注意しておきたい。              ※      ※     ※

 保団連は8月10日、厚労省にこの問題で急きょ申し入れを行った。今回の取扱いを示した通知が厚労省から都道府県に示されたのがようやく7月21日のことであるため、都道府県や市町村、該当患者までの周知を早急に行うこと、旧受給者証の回収の徹底、回収されずに医療機関を受診した場合には保険者の責任で対応すること、などを求めたもの。                      (愛知保団連HPより)

10月からの負担割合の変更の前にこう言った事例もあります。また、負担割合の変更は、これ以降も段階的に行われます。ご注意下さい。

特退、組合国保の前期高齢者では、2割から1割りにもしくは2割から3割その後1割のケースも、前期高齢者の負担率は、保険者が規定できるため、老健は保険者の手を離れているからそのような変化はないことを祈ります。いずれにしても、老人医療証の確認が必須です。(グ)


効率化とは !



三蔵法師が持ち帰った般若心経、最後の一説、ぎゃーていぎゃーてい・・・

ここの一説はサンスクリット語の発音を漢文に当てはめたもので、訳していません。般若心経の解説本には訳もでていますが、ぎゃーていの部分は真言といって言葉に出すだけでありがたい、まあ、おまじないの言葉と解説している本が大多数です。多分お坊さんに聞いても、意味はない、ただありがたい言葉という解答が返ってくるでしょう。

生き方考え方を学ぶだけだったらこの般若心経、最後の一説は不要ということになります。しかし、ぎゃーていをいれて262文字があって初めて真実が伝わるのです。医療と仏教は比較できませんが、文化という点では共通です。

医療が効率経済だけを優先して考えるなら、カルテレセプト開示、レセオンラインは有効でしょう。しかし、ここに人間が人間に対して行うという根本的な考えが抜け落ちている気がします。医師としての裁量権、医師としてのプライド、 医療費対効果の前では不必要?

究極に経済効果を追求するなら、文書はフォント小さく字間行間限りなく詰めて、その代わり、快適さを犠牲にしなければならない。カルテレセプト開示、反対するつもりはありませんが、行き過ぎた効率追求は人間を幸せにはできないと思います。

裁量権、プライド、使命感 これらが消失した医師が、患者国民を幸せにできるかはなはだ疑問です。

by NOBITA (2007.01.26)


鑑定書 !


また電話が鳴り響く。忙しいときに限って急患が相次ぐものだと思っていると、警察より問い合わせとのこと。何だろうと思って出てみると、「先生のところの患者さんが亡くなって、身元確認をお願いしたい。今から見つかった義歯を持って、お伺いしたいが宜しいか。」
PCで患者検索すると、最終診療日は十年ほど前。この方は近所にご親戚も多く、皆さん最近もお越しなのだがと訝しみながら、カルテ、技工指示書、納品書等を引っ張り出して揃える。矢っ張り残しておくものだ。パトリシア・コーンウェルの「検屍官」シリーズで、アメリカの歯科医の不正請求が発覚しそうになる件を思い出す。
診療を挟んで暫くすると、鑑識?と思しき制服の方がお見えになられた。透明の袋に入っていた上顎の総義歯を拝見すると、確かに私と相棒の癖が出ている。見事に擦り減ってしまっており、果たして機能していたものかと申し訳なく思いながらご冥福を祈る。対合には残存歯が揃っていた筈で、こちらから警察の方に尋ねると、「いや、多分病死と思われるので、腐乱の状態が激しく指紋も採取出来ないくらいで、これでご判断頂けたら。」と仰った。「ええ、相違御座いません。」と私。「それでは鑑定書を書いて頂きたい。」と申されるので、簡単に記入する。「こんなに簡単でよいのですか。」「はい、結構です。あと初来院の日を教えて貰えますか。」なるほど信憑性の問題ですね、、、 最後に捺印して、いとも簡単に済んでしまったが、悲しいかな、これもひとつの文書提供。
今この国で何かが壊れ始めている、全ての民が足元を見つめ直さねばならないのではなかろうか。                                       
(コメント)
こう言った原稿にコメントを入れるのはどうかと思うが、先日警察歯科医部会の研修に付き合わされた事や自分の患者さんの検視をした経験もありカキコします。
研修でつくづく感じたのは、身元不明の確認には「口腔内所見」が何より大事であり、最も信憑性の高い方法だと言うことである。治療痕の組み合わせは天文学的な数字であり、その内の5、6本程度が一致しただけで(勿論インレー、修復物、補綴物の形態も含めてですが)、本人確認の確率は100%近くになります。その上、X線写真が加われば、不明遺体に関しては、最強の方法と言えます。オイラの検視の場合は、行ったら既にX-pを警察が撮っていて、自院のX-pと照合しました(免許云々は気になりましが)。
災害時の身元確認にも、歯科医は必ず協力していて、かなりの成果を上げていますが、生命救助の医師の活躍に隠れてあまり報道されないのは、正直残念です。 こう言った取り組みも、マスコミがスポットを当ててくれたら、と思います。
因みに、先の研修会では、同じ地区の歯科医と警察官(鑑識)が6人でチームを組み、 鑑定の実習もありました。最初はお付き合いと言う感じだったのですが、結構楽しめましたヨ。空港のある県と言うことで、警察も熱心なのでしょうが。
地味な取り組みではありますが、歯科医のステータスを確保するためには必要な取り組みだと思います。
                                  


このかけがえのない、人という資源 !

中南米では、反米主義国家が台頭してきています。 大統領候補は、貧困層の医療無料化を訴え実現し、国民からの圧倒的支持で 再選間違い無しと言われています。 医療費が無料でできるのは、アメリカ支配の石油を自国の管理下に取り返し 潤沢な国家予算があるからできるのですが・・・

日本は天然資源は輸入に頼るしかありません。 日本国の資源は人です。 人間を切り捨てていく政府、北朝鮮の国家体制となんら変わらない。 風景は北も日本も美しいかもしれません。が張りぼての映画のセット? 美しい国日本?近代国家日本?

今の政府はこのかけがえのない、人という資源を、 切り捨てていく政策を選択しています。 教育、医療これが機能しない国家に子供たちの未来はありません。 なんとかしたい


医師の使命感(カルテ開示、レセプトオンライン化に思う) !

蔵法師が持ち帰った般若心経、最後の一説、ぎゃーていぎゃーてい・・・

ここの一説はサンスクリット語の発音を漢文に当てはめたもので、訳していません。般若心経の解説本には訳もでていますが、ぎゃーていの部分は真言といって言葉に出すだけでありがたい、まあ、おまじないの言葉と解説している本が大多数です。多分お坊さんに聞いても、意味はない、ただありがたい言葉という解答が返ってくるでしょう。

生き方考え方を学ぶだけだったらこの般若心経、最後の一説は不要ということになります。しかし、ぎゃーていをいれて262文字があって初めて真実が伝わるのです。医療と仏教は比較できませんが、文化という点では共通です。

医療が効率経済だけを優先して考えるなら、カルテレセプト開示、レセオンラインは有効でしょう。しかし、ここに人間が人間に対して行うという根本的な考えが抜け落ちている気がします。医師としての裁量権、医師としてのプライド、 医療費対効果の前では不必要?

究極に経済効果を追求するなら、文書はフォント小さく字間行間限りなく詰めて、その代わり、快適さを犠牲にしなければならない。カルテレセプト開示、反対するつもりはありませんが、行き過ぎた効率追求は人間を幸せにはできないと思います。

裁量権、プライド、使命感 これらが消失した医師が、患者国民を幸せにできるかはなはだ疑問です。


現場と行政 !

「医者が本当に話したいこと」高田真行 より抜粋。

高田]
さらに困るのは、厚生労働省のお役人たちです。病院で監査に入ったりす るわけですが、彼らと話をしてみると、医療従事者(これは患者と医療者の両者 ということです)が、こんなふうに苦労している医療現場を知らない、いや、知 ろうとしない、そのうえ想像力にも欠けている。それでいて、いろいろな法律や 通達を出すわけでしょう。しかも、彼らは作っておいて、2年くらいで移動して しまうわけです。
南]
無責任だなあ。
高田]
変わった法律だけが残って、当の本人はいなくなってしまう。現場の医者 もこれではやり切れません。
南]
とにかく、決めるのが仕事だと思っているんでしょうね。困ったもんですね。
高田]
現場をこまめに見てまわるということをしなんですから。机の上で勉強し て、それも大体アメリカの真似で、何か問題がおきると税金を使ってアメリカに わざわざ取材に行って、アメリカの病院でどうやっているかを見て、それを取り 入れるのがほとんどです。厚生労働省の相談にのっているメンバーも現場を知ら ない人が多くて、厚生労働省の事案に補強材料を与えているだけって感じですね。 だから、現場でピンとくるようは制度改革を期待するのはむりなんですね。

理髪と歯科 !

中世のイタリアでは理髪師が副業として歯科も行っていたということをご存知ですか?外科処置も「瀉血」という治療を主にしていたようです。要するにどこか具合が悪いと「はい、血を抜きましょう」という按配ですね。理髪師が外科を担当していた名残は看板に見られます。あのクルクル回る赤・青・白の三色は動脈・静脈・包帯やシーツを表しています。この商標は1540年にパリの理髪外科医メヤーナ・キールが用いたのが最初とされています。余談ですが外科処置の料金は一定でなく、状況に応じて礼金を受け取っていましたがサービスに対する礼金を入れる箱が置かれるようになりました。その箱には「To insure promtness」(迅速を保障するために)と書かれてあったそうです。頭文字をつなげるとTipとなり、これがお礼として渡す「チップ」の語源になったという説があります。
さて歯科の治療ですが主に抜歯と歯の清掃を行っていました。特に歯の清掃は家庭用の歯ブラシが高価だったため一般庶民は理髪店で定期的に口腔清掃を受けていたようです。身だしなみとして頭髪のケアと歯のケアを一緒にしていたのですね。もちろん当時でも口腔の清掃が虫歯の予防に効果があることは知られていましたので歯のケアは健康と美容の両方の意義を感じていたようです。
皆さんはいかがでしょう。年に何度ぐらい理髪店・美容院に行かれますか?
髪のお手入れと同じぐらい歯のお手入れにも気を使ってあげてください。
定期健診と予防に勝る治療なし、です。
「抜け始めて判る。髪は長〜いお友達」というCMがありましたね。
歯もまた同様ですね。


スクラップアンドビルドかメインテナンスか? !

わたしの診療所の待合室に置く雑誌の中に週間AERAがあるが、10月30日号に「クリエイターは老朽オフィスで」という記事があった。ここでは、何もその内容について書こうとしているのではない。この記事の中に、或る不動産会社の方の指摘として「伊勢神宮が20年ごとに建て替えをするように、日本民族の建物への感性は、スクラップアンドビルドを好む」というのがあった。なるほど、そうなのか。確かに一般住宅から公共施設に至るまで、諸外国に比べるとその寿命は短い。更に言えば電化製品にしたって、自動車にしたって近年の不況のため使用年数は長くなったとはいえ、他所の国と比較してまだまだ短いと言える。その理由は、市場経済が発達しているからだけではなく、上記のような民族性からなるものなのか。 それでは「もったいない」はどこへ行った?

さて、ここから。余りにも牽強付会になるが、歯科治療(特に修復・補綴処置)についてはどうであろうか。いつでも、どこでもの皆保険の気安さからか、わたしどもは患者の皆様から「また悪くなれば、やりかえるよ」とか「とりあえず詰めておいて」などの声を聞くことがある。最近は、意識の高まりからこういう例は減っては来たが、依然として有ることには違いない。これは、それこそスクラップアンドビルドではないであろうか。 歯は臓器のひとつである、こんな言い方をしなくとも人間のからだの一部であるわけだから、意識の改革が必要である。確かな根拠に基づく診断、治療技術を評価するのは当然であるが、その後のメインテナンスが重要なのである。これには歯科医の側も患者の側も、繰り返すが意識の改革が必要である。さもなければ延々とスクラップアンドビルドが繰り返されることになる。
長年言われ続けてきたことであるが、我が国歯科医療の問題点のひとつである。


囚人のジレンマ !

ゲーム理論の中の有名な事例に、「囚人のジレンマ」と言うのがある。

二人は盗難の罪で留置された。 主たる罪状の決定的証拠をつかめないまま当局は二人を、軽い罪で3年の刑とすることにしたのだが、さらに囚人たちに対して悪魔的な取り引きを持ち掛けた。 「もし相棒の罪を証言すれば、相棒は5年の刑とするかわりに、お前は無罪放免にしてやる」 いい話ではないか。が、世の中そんなに甘くはない。 「ただし、もし二人とも証言した場合には二人そろって4年の刑に処する」。

  • 損得勘定を表にして見る。
私\相棒沈黙(協調)証言(裏切り)
沈黙(協調)私:3年、相:3年私:5年、相:0年(無罪)
証言(裏切り)私:0年(無罪)、相:5年私:4年、相:4年

二人は別々に独房に入れられていて相談することは許されない。

「私が証言して、相棒が沈黙したとすると私は5年間牢屋にはいるかわりに相棒は無罪放免される」 「相棒が証言したらどうだろう。もし私が黙っていると5年の刑、これはひどい。私も証言すれば4年ですむ」 ということは、相手の行動にかかわらず、自分は証言したほうが(裏切ったほうが)いいいうことになる。  さて、同じ条件を与えられている相棒もきっと同じことを考えるだろう。その結果は上の図の右下「4年の刑」である。  そうほうじっと黙っていれば3年で済んだものが頭をひねったあげくに4年になってしまったのはどうしてだろう?  上の図にしたがって正しく行動したはずなのに。  それでは、やはり沈黙していたほうがよいのか?  相手もそうしてくれればよいが、もし相棒が裏切って証言すれば、自分は最悪の5年の刑である。そんなことできるのか?事前に相談できるきるのであれは「おたがいに黙っていような」と取り決めておいてふたりとも3年ですませることもできるのだが。(まあ、相談したあげくの裏切りというのもあるが)

と、こんな具合に「あらゆる条件において最良の結果になる」ように行動したはずなのに結果はどうもうまくない、というところが「ジレンマ」という由縁である。

競争的状況下では、この「囚人のジレンマ」に陥る事が多々あると思います。 その時の対処法には、どの様なものがあるのでしょう。

1つには、「裏切り型の対処法」が考えられます。上の囚人の例で言えば、相手に裏切られて5年の刑に処せられるくらいなら、積極的に自分から裏切って、あわよくば無罪を勝ち取ろうと言う対処法です。歯科で言えば、自費において、近隣の同業者を出し抜くためにダンピングに応じる方法などが当てはまるでしょう。

それに対して、「紳士・淑女の対処法」と言うのがあります。上の囚人の例では、裏切らずに沈黙を通すと言う方法ですかね?この方法にはもう1つオプションが付いていて、相手が裏切って来た時は、即座にしっぺ返しとして裏切り返すと言う「しっぺ返し戦略」が含まれています。そして、相手が悔い改めて協力的な姿勢になったら、こちらも直ぐに協力的(紳士的)姿に戻ると言うものです。

コンピュータコンテストで、こう言った対戦プログラムの結果を見ると、「紳士型」は、良くて引き分け、そして誰にも勝たなかった。しかし、詳細に分析すると、最終的な利益は、ごくわずかであるにも拘らず、「裏切り型」より多かったのである。 「裏切り型」は、多くの相手に勝利する。しかし、裏切り型同士が対戦した時、損失が大きく膨らんでしまうのである。結果的に割に合わない戦略と言って良いでしょう。近隣の歯科医同士が、ダンピングの果てに共倒れになる姿を想像させます。

ゲーム理論と言う戦いの理論は、結局は「戦うのは損だ、平和を追求しよう」と言う、戦争抑止力として働く傾向がある。そこに人間社会の1つの真実を見る気がするし、まだ人類を信頼する事が出来ると結んでいる。

日歯雑誌の8,9,10月号に2ページずつ掲載される、京大の逢沢明教授の「ゲーム理論」のお話です。


歯科医師ペンギン説 !

写真家・水口博也さんのペンギン物語インタビューを読んで。 

●「風の国・ペンギンの島」を読ませていただいていると、ペンギン達の暮らしって本当に大変なんだなぁっていうのに加えて、「なぜ、こういうことをやっているんだろう」って疑問に思うようなことも多々ありました(笑)。ペンギンっていうと私の中のイメージではコロニーで、一家族3人で立つのがやっとっていうくらいのスペースがお家なんですよね。そして隣の家とは片足1本分くらいの距離しかないんですね。

「そうです。見ているとどうも仲のいいお隣さんという感じではなくて、お互いにいつも突きあっているんですね」

仲がいいわけではないんですね。

「ないんです。餌を取りに行って海から帰ってくるときとか、海へ出ていくときっていうのは、結構安心なのか何羽か連れ立っていくんです。その時は非常に仲がいいんですけど、一旦コロニーへ帰ってくると、あとは領分争いというか突っつきあいの絶えないコロニーですね」

歯科医師って、やっぱりペンギン並らしい。 ゴルフに行く時は仲がいいコロニーも有るらしいし、きっとそうだ。

地球温暖化の影響で永久凍土が溶け、棚氷が流れ出しコロニーの土地自体が崩壊・消滅の危機に有るのに、日々産卵の場所取り合戦に終始する。歯科医もそれが本能なのか?

生き残りの時代などとコンサルの言うがままに、その場しのぎの対処をするのではなく、今が崩壊の時代であると認識し、崩壊を食い止める手段を考える知性が我々にはあるはず。


「正しいこと」とは?               !


ネット検索していたら、医療にも当てはまる論旨があったのでコピペします。

現代の社会で、”正しいこと”は、比較的国民にゆだねられてきているようなきがする。”正しいこと”が世界的に”正しい”と思えるのはまずいのかもしれない。アメリカ合衆国をはじめとする連合軍が邪悪なナチを下し、ユダヤ人を救出する。そのころには、広島長崎に、原爆を投下していたのである。”正しいこと”というのは、かなり難しい。 ナチのような思想がはびこると、”正しいこと”を考えなくてよくなり、頭のいい人間も少し楽になるかもしれない。何が”正しいか”を考えるのをやめてしまうと、また悲劇が繰り返される可能性がある。現代のわれわれはそれぞれが”何が正しいか”を休むことなく考え、人と意見を交わして妥当な道に進んでいかなければならないという義務があるを負っているのではないか。

レセオンライン、社会保障費削減、時代の流れといえばそれまで。しかしこれが”正しいこと”かどうかは現時点ではわからない。日本において医療界の人はゲトーに押し込まれ、強制労働(裁量権がない)、最後はアウシュビッツ行き(指導・監査)。唯一ゲトーから出るにはリタイアか保険医辞退。患者である国民も(低所得者)大差はない。


腰痛と歯科治療 !


歯科医なる者は、日頃立ったり座ったり、また前傾姿勢をとることが多い為 腰痛を患いやすい職種と言えます。かくなる私も昨年、椎間板ヘルニアになってしまいました。第五腰椎と仙骨の間で突出したものですから、腰神経根三つに当たってしまい、痛いどころの騒ぎじゃございませんでした。もうこれで最後かと思ったものです。そう言えば大学時代に教授のどなたかだったかが「歯痛に勝るとも劣らぬものがある、それは坐骨神経痛。」と仰っていた記憶が有ります。今思えば、あの先生も腰を患った経験がお有りだったのかなと。ともかく坐骨神経は、人間の末梢神経の中で最も太いので、痛いのは当然のわけであります。しかし普段私が痛い思いをさせている?患者さん達が心配して、足を引き摺りながら診療中の私を「往診」して下さったことは一生涯忘れることは出来ません。椎間板ヘルニアの経験者は多く、中には腰痛治療の書籍を届けて下さる方もおられました。
と、ここまで自分のことばかり書きましたが、皆様の中にも腰痛、坐骨神経痛をお持ちの方は多いと思います。その場合、歯科治療が特別苦しいものであることが理解出来ます。足をまっすぐ前にして座ることが辛いでしょう、私もいまだにその芸当は出来ません。ですから歯科受診の際は、その旨遠慮せずに申し出て下さい。膝の部分で折れ曲がらない診療台では、立て膝など楽な姿勢を。背もたれを倒す時はゆっくりと。また大抵の歯科医院では膝掛けなど常備していますので、腰にそれを当てるなど対処の方法は有ります。
腰痛、坐骨神経痛のひどい時は、歯磨きをしても痛い、口を漱いでも前屈出来ないものだからどうしようもない、また起き上がる時に歯が折れるほど食い縛ってしまう等あろうかと思います。それは十分歯を痛めてしまう原因になります。
歯も背骨も長年の酷使が、いつかは問題を惹き起こします。矢張りともに予防が大切であろうと考える次第でございます。くれぐれも御自愛のほどを。


貴族と扇子 !


洋の東西を問わず貴族には扇子が付き物で、扇子を口の前にかざして「おほほほ〜〜〜」なんて構図が一般ですが、平安貴族の昔からほんの最近まで、虫歯や歯周炎の治療なんてまったく無く歯磨きの習慣も???でしたから、口臭は大変なものであったと想像出来ます。

貴族に付き物の扇子が、虫歯を隠したり、殺人的な?口臭をさえぎる物かも知れないと考えると、あの「おほほ〜〜」のちょぼ口も理解できます。

さて、平安貴族は、扇子で殺人口臭を防御していたのか?なんて、貴族生活が、面白く思えませんか?
18世紀の著名な歯科医ピエール・フォシャール以前のフランス貴族階級で無歯顎の義歯は、犬歯のあった部分の歯肉に穴を開け、そこにフックをつけて義歯をはめていた、フォシャール自身「口に出入りする空気と舌のあらゆる動きに伴って動く宙に浮いた義歯(Floating teeth)」述べている。 昔は、すごい。やっぱり 扇子は必需品???。 参考文献:森隆著:エピソードでつづる義歯の歴史、口腔保健協会


年とともに歯もいたわって !


長い間、荷重がかかるとコンクリートでもひびが入るように、長年使ってきた歯は、咀嚼、噛み締め、歯軋りと荷重のために細かいひび割れが起こってきます。虫歯や歯周病に罹っていなくても、歯の中に出来た細かいひび割れが大きくなって歯が折れやすくなります。職業的にも庭師さんのように、いつも重い物を人力で運ぶ人や、噛み締めがいつもある人は、潜在的に歯が折れやすくなっています。若い時のようにビールの栓を歯で開けたり、糸を歯で切ったり、極端に硬いものを咬んだりしないで、いたわって歯を長持ちさせましょう。


口の中を電気が流れる !


みなさんは、間違って銀紙 (アルミホイル)を噛んだり、歯に金属製のスプーンが当たったりした時に、痛みを覚えたり、何ともいやな味がしたり、といった経験がございませんでしょうか。
これは「ガルバニー電流」と呼ばれるもので、唾液や歯の中の組織液が電解質になって電位差が生じ、電流が発生することによります。
「ガルバニー電池」に詳しい方なら、私どもより余程うまく説明されるかも知れません。
ともかく異種金属間では微弱な電気が発生しますので、口腔内(口の中)に異なった金属が入っている場合(たとえばアマルガムと鋳造修復物、鋳造修復物の中でも金合金と銀合金など。)、この微弱な電流の問題が生じます。
ですから口の中に金属修復を認めない方なら問題はないのですが、これは金属イオンが溶出しているということでもあります。



また唾液の腐食作用のため溶出した金属イオンは、蛋白と結合すると「異種蛋白」と呼ばれるものになり、これが抗原となってアレルギーを惹き起こすことが有ります。
近年問題になっている「金属アレルギー」のひとつで、金属アレルギーはピアスやネックレス、腕時計などの装身具に限らず、口の中にも問題が有るというわけです。


啄木の歯痛 !


二十七歳で夭逝した天才歌人石川啄木の短歌は、その歌集「一握の砂」と「悲しき玩具」によって代表されるが、それぞれに自分の虫歯についての歌がある。なにも殊更に歯痛を強調したかったわけでもないだろうが。

先ずは、「一握の砂」から、、、


夏来れば

うがひ薬の

病ある歯に沁む朝のうれしかりけり


時は「肺病」が猛威をふるった明治年間。啄木もそれが原因で夭逝するわけだが、虫歯の痛みくらいは心地の良いものなのか。

すると、「悲しき玩具」では、、、


痛む歯をおさへつつ

日が赤々と

冬の靄の中にのぼるを見たり。


ひょっとすると、同じ虫歯の痛みを夏から冬まで放っていたのか。
「新編・啄木歌集」(岩波文庫)で編者の久保田正文氏の解説を読んで見ると、「一握の砂」のほとんどが明治43年に、「悲しき玩具」は同じ年の11月以降に書かれたものであるということ。
矢張り、どうもそうらしい。
それは、さぞかし痛かったことであろう。

みなさまも、虫歯の痛みで夜も眠れず、朝日が昇るを見たなんてことにならないように。冷たい水が沁みているうちに歯科医院の方へ。


アメリカ大統領の任期と入れ歯 !


アメリカ合衆国初代大統領のジョージ・ワシントンは、歯が悪かったことで有名ですが、彼の入れ歯が1300グラム以上もあり非常に強力なスプリングのバネで上下が繋がれていて今でも展示するために上下の歯かみ合わせておくには、太い針金で縛っておかないと開いてしまうほどです。現在の入れ歯が上下あわせても50グラムくらいで上下の顎に吸着して使うことに比べると大変な代物です。

晩年、といっても彼は67歳でなくなっていますが、食事も大変でしたが、入れ歯のために容貌が変わり発音が明瞭でなくなってきて、公の場所で話をしたくなかったといわれています。こんな入れ歯を使っていたからアメリカの1ドル札のしかめっ面の気難しいワシントン大統領になったのです。

彼が2期8年の大統領任期を終えた時、国民はもう1期、大統領をと望みましたが彼の義歯との戦いが大統領を続ける気持ちに成れなくしたのでは?。

ジョージ・ワシントンが2期8年で大統領を辞めた為、現在のアメリカ大統領の任期は2期8年までとなっています、入れ歯でなかったらどうなのかな?。

参考文献:森隆著、エピソードでつづる義歯の歴史、口腔保健協会


「歯」を使った四字熟語 !


「歯」を使った熟語は多いが、ここでは幾つかの四字熟語をあげてみる。

先ずは、まったりと
【明眸皓歯(めいぼうこうし)】
ご存知、美人のたとえ。美しく輝く瞳と白い歯は、いつの時代にあっても人々の理想か。
唐の詩人杜甫が楊貴妃の美貌を形容した語であるらしいが、なんとも美しい響きをもつ。

かわって、誰でも老いたくはないものであるが、
【頭童歯豁(とうどうしかつ)】
「頭童」は、童(わらべ)の坊主頭のことで、頭髪が無くなることを言い、「歯豁」とは、歯と歯の隙間が大きくなる意。よって老人のことを指す。
この二つの四字熟語から、いつまでも美しくありたいと思われる方は、歯を大切にされるが良い。また歯科でも当然の如くアンチエイジングという概念はあるので、気になる事、思い悩む事があれば、歯科医の方にご相談を。尤も宣伝するつもりで書いているわけではないので、これくらいにしておく。

次に恐らくもっとも頻繁に使われるであろう
【切歯扼腕(せっしやくわん)】
わたしたち医療従事者だけでなく、今現在このような心持の方も多いやしれぬ。非常に悔しがることの意で、「切歯」は、歯軋り、食い縛りを意味するが、歯やその周囲組織、場合によっては全身にまで影響することも有るのでご注意あれ。
「扼腕」は、一方の手でもう一方の腕を押さえること。出典は、あの堀江貴文氏も読んでおられた「史記」。また同じ「史記」には【切歯腐心(せっしふしん)】との語もある。これもまた怒りを表す熟語である。

次は、
【脣歯輔車(しんしほしゃ)】
唇(くちびる)と歯、お互いに助け合う関係を言う。差し歯や入れ歯など、特に前歯で苦労なさった経験のある方は、よくお分かりかと思う。 また輔車とは、頬骨と下顎の骨のことを指すとも言われる。
「脣亡ぶれば歯寒し」と言ったほうが一般的か。それなら
【脣亡歯寒(しんぼうしかん)】
いずれにせよ、人は互いに助け合うものである。いかなる立場の者であろうと肝に銘じなければならない。

これで最後にしておくが、
歯牙余論(しがのよろん)】
ここでは、歯牙は口の端を意味し、余論はそこからもらしてしまった僅かな言葉のことを言う。悪口や本音など悪い意味を想像しがちだが、
「歯牙の余論を惜しむことなかれ」と言い、少しの励ましや褒め言葉が大切であるという意味。これはまた、じつに良いことである。


「血をさらさらにする薬」 !

                            

高血圧などで病医院にかかられている人の中で、「血をさらさらにする薬」を内服されている方も多いと思います。このような場合、歯科を受診する時には歯科医の方にお申し出下さい。また前もって主治医の先生にご相談されたり、病医院や調剤薬局にて貰われている服薬指導書をご持参して下さい。

血をさらさらにする薬(抗血栓薬)の中でも経口抗凝固薬のワーファリンは、歯科治療の際最も注意を要する薬のひとつです。これは血液が固まらないようにする薬で、抜歯などの観血的処置(血が出る治療)では、止血が困難になることがあります。観血的処置が必要な時は、前もってこの薬の服用を停止することが多いですが、その場合は必ず主治医の先生の指示を得てから内服を止めることになります。
また経口抗凝固薬は、他の薬の影響を受け易く、納豆などビタミンKを多く含むものを摂取しないよういわれるのも、この薬の作用がビタミンKによって抑制されるからです。逆に作用を増強させるものとして、抗生物質や非ステロイド性抗炎症薬が有ります。

他の抗血栓薬としてよく見られるものに血小板凝集抑制薬があります。代表的なものにパナルジン、プレタール、ドルナーやプロサイリン、聞き慣れたところではアスピリンが挙げられます。
バイアスピリン(アスピリン100mg)や小児用バファリン(アスピリン81mg)は、心筋梗塞などの予防に用いられる事が多いです。アスピリンは、痛み止めとして使用する場合は用量がもっと多く、量が増えれば今度は違う作用によって血液が固まり易くなります。
いずれにせよ、これらの薬を服用されている場合は、事前に歯科医までご相談ください。


懶惰(らんだ)の説 !


「文化の進んだ人種ほど歯の手入れを大切にする。歯列の美しさ如何に依ってその種族の文明の程度が推し測られるという。それがほんとうなら、歯科医学の最も進歩したアメリカこそは世界一の文明国であり、かのわざとらしい無気味なる笑顔を作る俳優たちは、「己はこの通りの文明人だぞ」というところを誇示しているのかも知れない。そして私の如く生まれつきの乱杭歯の持ち主で、それを療治しようとしない者は、かつて故大山元帥のあばた面がそうされたように、手もなく未開人の標本にされても仕方がない。尤もこの頃は日本人でも私のようなのは例外であって、少し気の利いた都会には何処へ行ってもアメリカ仕込みの歯科医の店が繁昌しており、中には脳貧血を起すぐらいは覚悟の前で立派に使用に堪える天賦の歯を抜いたり切ったりして人工的の装飾を施す。そのせいか知らぬが、近来都会人の歯は日増しに美しくなって昔のような乱杭歯や八重歯や茄子歯はめっきりと少なくなった。男女を問わず、礼儀や容姿に気を付ける人は、歯研き一つ買うにしてもコリノスだとかペプソデントだとか、アメリカの舶来品を使って、念の入ったのは朝夕二度も歯を研く。だから日本人の歯は、一日々々と真っ白に真珠色になり、それだけアメリカ人に近く、文明人になりつつある。」

上記の文章は、かの文豪谷崎潤一郎が昭和5年に随筆「懶惰の説」で著したものである。
いつも私は、思い出した時にこれを読み返してみる。歯科医にとって「耳の痛い話」として。

更に文豪谷崎は、同じ随筆の中でアメリカ人の歯を指してこう言う。
「そういえば私は、あの白い汚れ目のない歯列を見ると、何となく西洋便所のタイル張りの床を想い出すのである。」

参考文献:抜粋は、篠田一士編・谷崎潤一郎随筆集(岩波文庫)より。


混合診療は悪魔の贈り物? !


「機会のない自由は、悪魔の贈り物である。」
これは、アメリカのリベラリスト、言語学者のNoam Chomskyが、確か第三世界の医療に就いて述べた言葉である。
だから、たいそうな表現になるかも知れないので、「機会のない」を「選択することの出来ない」と置き換え、混合診療に就いて述べてみたいと思う。 混合診療は、医療費の抑制というより保険給付費の削減を主たる目的として導入されるのであるが、肯定的な意見として「医療者と患者の選択肢が広がる」というのがある。果たしてそうであろうか?
政府なり行政から、医療機関へ「新たなる所得源」として混合診療が贈られて来る。そして医療側から患者側へ「より良い治療法」として、また混合診療が贈られる。
しかし、ここで我が国の民の所得階層に就いて調べてみられるが良い。どれだけの人々が、この制度の恩恵に与れるか。
医療や教育は、国家の根幹を為す。
繰り返し問う、選択することの出来ない自由は、悪魔の贈り物では無いかと。


草食動物 !


草食動物は反芻を行っていて、胃で分解されたブドウ糖が口腔内に戻ってきます。
しかも一日中食べているので、虫歯になるように思いませんか?

でも草食動物の唾液はアルカリ性なので虫歯になりにくいのです。
また、例えば象は歯が5回も生え替わるとのこと。

残念ながら、人間は虫歯になりやすい動物と言えます。
それに追い討ちをかけるように間食をすれば・・・


歯の着色 !

歯の着色

 ちょっと前に、「コーヒー、紅茶でステイン。赤ワインでもステイン」という気だるい女性の歌声が妙に頭に残る歯磨き粉のCMがありました(今もあるカナ?)。
ステインとは本来は、着色料、顔料、染料の事を言いますが、歯科の世界では、「外来色素」と言って、食べ物や飲み物に含まれる色素で、歯の着色の原因となるものを意味します。このCMの歯磨き粉は、普通の歯磨き粉に入っている炭酸カルシウム系の研磨剤の他に、このステインを吸着する成分が入って~いると言うことなのでしょう。最近は、歯磨き粉も歯が凍みる知覚過敏に効果がある物とか、歯槽膿漏に効果がある物など色々特徴を出したものが増えてきました。

 そして、この歯磨き粉の場合は、歯の着色を取って、着色し難くする効果を謳っているわけです。昔から、輝く白い歯は、美人、美男の象徴とされてきました。最近では、クオリティ・オブ・ライフ(QOL)の言葉で、生活の質の向上が叫ばれています。その流れの中で、歯のホワイトニング(美白)も注目されてきた結果、前述のような歯磨き粉も生まれてきたのでしょう。自動車で言えば、ボディの汚れを、よりきれいにして、輝かせるタイプの洗剤・ワックスといったところでしょうか?しかし、車も段々古くなって、ボディに深い傷や、頑固なオイル汚れなどが付くと、これらの市販の洗剤やワックスでは歯が立たなくなってきます。新車の頃の輝きを取り戻すには、プロの手を借りなければならなくなります。

 歯も同様で、頑固な歯石が付いた歯や、タバコのヤニの様なものは、なかなかブラッシングだけでは落とせなくなってきます。その時は、プロである歯医者さんの所へ行って、歯石を取ってもらい、その後で歯をきれいに磨いてもらうのが一番です。


口臭について !

口臭について

 歯自体には、あまり不都合を感じないが、最近周りの人に「口臭がする」と言われて、来院する人が居ます。テレビのコマーシャルでも色々な口臭予防の商品が宣伝されています。意外に、病気とは言わないまでも、エチケットの一つとして気にしている人が多いと言うことでしょう。

 では、この口臭の原因には、どのようなものがあるのでしょうか。一つには、当たり前ですが、ニンニク、ニラ、ネギなどの強い臭いの食品を食べたりした時の一時的な口臭があります。その他の、持続的な口臭にも、病的な口臭と、病気とはいえない生理的口臭と言うものに大別されます。

 生理的口臭には、例えば「早朝時口臭」と呼ばれる起床直後に感じる口臭が挙げられます。これは、主として睡眠時に唾液の分泌が減少することにより、口の中の細菌が活動しやすくなり、食べかす等があれば、そのタンパク質を分解して、揮発性の硫化物(メルカプタンなど)を作り出すために生じるものです。ですから、予防のためには、夜寝る前の歯磨きが効果的です。先ほど述べたように、睡眠中は口中の細菌の活動が活発になりますから、虫歯予防、歯周病予防の観点からも、就寝前の歯磨きが大変重要になります。この時、口臭予防と言う観点から言うと、一緒に歯ブラシで舌の表面も軽くこすってきれいにする事もお勧めします。舌の表面には味蕾があり、ザラザラしている為、食べかすがかなり付着し、これも口臭の原因となるからです。その他に、女性には月経性口臭といって、排卵時期や月経周辺時期に口臭が強くなる人がいます。

 病的口臭には、糖尿病などの全身疾患、呼吸器疾患、蓄膿症などの鼻咽頭疾患、胃炎などの消化管の疾患が原因で発生するものがあります。しかし、最も多いのは口の中の病気が原因になっているものです。例えば、歯に大きな虫歯があって放置されていたり、すぐに出血するような歯肉炎、歯槽膿漏があったりすると、かなりの口臭の原因になります。この場合は、原因となる病気の治療が必要になります。


歯周病と全身疾患の関係 !

歯周病と全身疾患の関係

 今から6年前に「第86回アメリカ歯周病学会併催日本歯周病学会2000年記念大会」が開催されました。この中で、歯周病(歯槽膿漏)と全身疾患の関係についてのセミナーがあり、現在、歯周病が妊婦の低体重児早産の原因、心臓血管疾患、糖尿病等、全身疾患にもさまざまな影響を及ぼしていることが明らかになりつつあるとのことでした。

 歯周病は、高血圧や高脂血症などと並ぶ生活習慣病の一つであり、きちんとした管理を行っていくべきものです。しかし、日本では9000万人といわれる歯周病患者のうち、実際に治療を受けている人は、わずか200万人というのが現状です。

 このセミナーで、日本歯周病学会理事長の石川烈東京医科歯科大教授が講演され、日本人は50歳を過ぎると急激に歯を失いますが、米国人は違うことから、定期的に歯医者さんによる口腔管理を受けることが重要であると述べられました。また、歯周病治療というと、歯周疾患の進行を阻止し、歯を保存することとされていますが、今後は、それに加えて「全身の健康への悪影響を防止するため」という概念が加わるだろうとのことでした。
 最後に、先の石川教授の言葉を裏付ける厚生省の資料を示します。

原稿資料1.jpg


残存歯数.jpg
残存歯数1.jpg

日本と米国の歯科治療 !

日本と米国の歯科治療

  • 歯が痛いとか気になるところがないとなかなか歯医者さんにいく機会がないという人が多いのではないでしょうか。過去一年間に歯医者さんに行ったことのある人の割合は、日本人は平均約40%に対し、米国でははるかに多く約70%となっています。
    米国の人はそんなに歯が悪いかというと、そんなことはなくて、むしろ全年代を通して、一人当たりの虫歯の数、治療歯数、抜歯数とも日本より少ないのです。
  • では、治療費が安いからかというと、そうではなくて、米国では日本のような国民皆保険制度がないので、日本人が想像できないほど高額な治療費がかかります。
    なぜ米国の方が歯科受診率が高いのかというと、米国人は定期検診と予防処置のために歯医者を訪れているからです。米国は合理主義の国であり、治療に高額を支払うくらいなら、予防に力を注いで病気にならないようにするほうが結果的に出費を少なく出来ると考えているからでしょう。
  • 誤解される方もいるでしょうが、日本は世界で最も成功した社会主義国であると言われることがあります。欧米ほど貧富の差があまりなく、社会保障制度も充実しています。前にも述べましたが、国民皆保険で、これほど治療費も安く、保険でカバーする範囲が広い国は日本以外にありません。

  • しかし、ここに来て、日本の医療保険制度にも様々な問題点が出てきています。特に財政問題は深刻化しています。今までの「安全と医療はタダ」という考えから、「身の安全と健康は自分で守る」というグローバルスタンダードへの意識改革が必要になるのではないでしょうか。
  • 治療費がべらぼうに高いにも関わらず、受診率が高いという、一見矛盾したような米国の姿に、予防や病気の早期発見、早期治療が、自分の健康のためにも、また経済的にも良いことだという発想の違いを感じます。
    これからは、歯医者に行くと考えずに、床屋さんや美容院に行く感じで歯科医院を訪れてみては?

「抗かび剤」報道とEBM !

「抗かび剤」報道とEBM

 ちょっと古い話ですが、平成十三年十一月二十日付けの朝日新聞に「歯磨きより、抗かび剤(アムホテリシンB)が歯周病に効く」という記事が掲載されました。朝日新聞という大きなメディアが取り上げた記事ですので、歯科界だけでなく一般の患者さんへの影響も大きいと思われます。

 この記事に対して、日本歯周病学会は石川烈理事長(東京医科歯科大学教授)名で、見解を発表しました。結論から言うと、「抗かび剤が歯周病に有効」とするのはEBM(科学的根拠に基いた医療)の観点からは、容認できないものであると言うものでした。詳しく言うと、朝日新聞の記事では、カンジダ菌陽性患者に対しリステリン洗口液に抗かび剤(アムホテリシンB)を入れ、うがいすると歯周病の症状が改善されると言うことであるが、そもそもリステリンは殺菌性の洗口剤で、プラーク抑制、歯肉炎改善、抗かび作用が認められている。その上、急性症状には抗生剤も投与しており、とても抗かび剤単独での歯周病への有効性を証明するものではないと言うことである。また、アムホテリシンBの副作用、毒性を考えると、この薬剤の長期使用に対する全身的影響から疑問を呈しています。

 また、この「抗かび剤報道」以外でも、歯のつめもの(コンポジットレジン)の中に環境ホルモンに影響を与える物質が検出された、との学会発表が新聞に載り、発表者が慌てて、「人体への影響はない」と否定する一幕もあった。

 確かにセンセーショナルなものは、人々の耳目を集め、記事としては面白くなると思いますが、それが正しい論拠に基いたものであるかという検証が必要だと思います。
逆に、私たち歯科医も、日々の診療に於いてEBM(科学的根拠に基く治療)を常に心がける必要があると思います。


イケ面? !

少し前に、しょうゆ顔、ソース顔と言われてました。 いまどきの若い人、顔が一世代前と変わったと思いませんか。皆、美女、美男子、イケ面の男の子。

そう、今、日本人の顔が変わってきているので。

えらの張った顔が少なくなったでしょ。下駄のような四角い顔の人が少なくなったでしょう。

昭和40年以降に生まれた人は、ワラジのように固い牛肉なんて知らないし、最近の若い人は、焼肉のミノより硬いものを食べた人は、皆無になっています。

20年ぐらい前に、ラットに硬い固形飼料と軟らかい粉の飼料を与え何代も飼育していく実験が行われ、軟らかい飼料では

  • 下顎の下顎枝(顎の関節から顎のエラが張ったところのところまでの距離)が短くなり、
  • 下顎のエラが張ったところの角度が開いてきて、
  • 咬筋(頬骨から顎のエラのところについている筋肉)が細くなる

という結果がでています。

此の頃の、若いイケ面の顔は、下駄のような四角い顔がなくなって、顎のエラ張りが高く下あごがスッキリしてみえるでしょ。

人間は、二足歩行を獲得して首の角度が変わったから後頭部が大きくなり、火を使えるようになったことで、軟らかい物を食べるようになり、側頭筋(こめかみの筋肉)が薄く細くなって頭蓋骨の脳の容積が大きくなることで進化してきたと言われています。もっともその前に人間が考えることを始めたために脳がその容積を大きくしたいという要求が脳容積増大の原動力と言われています。それでも、食べ物が人間の顔かたちに影響してきている事は確かでしょう。

昭和40年頃から今回の軟食化が始まったと考えて今で2世代目、今後どんな顔がその時代のイケ面になるのか?不安も少しあります。 顎は退化して人間は進化を続けて行くのでしょう。

もう、2世代目に入っていることは、今からあわてて硬いものをガンガン食べさせるのは、子供の顎がついていけない可能性もあります。ストレスの多いこの頃、若年層の顎関節症が多いことは、ストレスによる食い縛りに顎がついていけない現実なのでしょうか。

なにはともあれ、 イケ面が、顎の形が軟らかい食べ物で変わるという、壮大な実験の一つの現われではないでしょうか。


「まずは歯医者に行け」 !

「まずは歯医者に行け」

 「ご子息が芸能界に入るにあたって何かアドバイスしましたか」と言う質問に対しての小泉前首相の答えが、冒頭の「まずは歯医者に行け」と言うものだったそうです。小泉前首相の頭の中に、以前にコマーシャルで話題になった「芸能人は歯が命」と言うフレーズが浮かんだのかどうかは定かではありませんが、日ごろから息子さんが歯が悪くて気にしていたとも考えられません。爽やかで健康そうなイメージを人に与えるものの代表に、真っ白い歯とピンク色の歯茎が挙げられるからでしょう。ハリウッドでも「ハリウッドスマイル」と言って、真っ白い歯と淡いピンクの歯茎をオーバーなまでに見せる笑い方が演技の一つとされた時代がありました。(今ではそんなわざとらしい笑い方をする俳優はいませんが・・・シンディー・ローパーと言う米国のシンガーがネタで、この笑い方をしてましたネ?)
俳優になるにあったて、演技力とかはすぐに身に付くものではないので、まずは身だしなみからと言うことなのでしょう。

 ここで、歯医者の方から言わせて貰いますと、首相の発言の真意はわかりませんが、歯が痛くなくても、定期的に歯医者に行くと言う事はとてもよいことだと思います。虫歯にしろ、歯周病にしろ、早期に発見すれば、処置も予後も良好な場合が多いからです。体全体に関しては「人間ドック」と言うものがありますが、その中には歯についての項目はないわけですから、その一環として、定期的に歯医者で自分の口の中の状態をチェックして貰うのも良いのではないでしょうか。

 また、虫歯も歯周病も生活習慣病の一つとされ、心臓病のある種のものや糖尿病との関連も最近言われています。患者さんも日ごろのブラッシングを習慣にして歯と歯茎を健康に保つことが、生活習慣の改善につながり、ひいては体全体の健康維持に役立つと思われます。


「人生は歯のようなもの」 !

「人生は歯のようなもの」

人生は歯のようなもの

充実した日々を過ごせるのを人はあたりまえと思っている

毎日なんでもかめるのを人はあたりまえと思っている

けれど、あるとき突然、歯もこわれはじめる

人生も同じ。むずかしいことに出くわす

このときになってその大切さに気づく

そして、あわてて救おうとこころみる

もとどおりにすることのむずかしさに、ためいきをつく

抜かずにすますには苦労の連続

まるで人生のように

  • これは、神奈川歯科医師会が以前に作成した、歯の啓発ポスターに書かれていた詩です。フランスのシャンソン歌手のセルジオ・レジャーニが唄っている歌詞を石川烈教授(東京医科歯科大学歯学部)が訳されたものです。
  • 私もこのコラムで、家や車などの生活に身近なものと比較しながら、歯の大切さを書いてきましたが、これほど大上段に、「人生と歯」を結びつけて考えたことはなかったので、大変感銘を受けました。
  • 生活の身近なものを題材にして人生を唄うシャンソン歌手ならではの視点で書かれています。
  • 私は歯医者の立場から歯を中心にして考えがちですが、このシャンソン歌手は、歯を生活の中にあるごく普通の題材として捉えています。しかし、その歯というものの大切さは、人生に比較し得るほどのものであると唄っています。
  • 最近、クオリティ・オブ・ライフ(人生の質)と言う言葉をよく耳にします。最良の人生を送るために、歯も生涯を通じての良き友として、末永くおつき合いください。

スペア義歯 !

スペア義歯

  • 歯医者さんに、新しい入れ歯を作ってもらいに行ったのに、古い方の入れ歯をいじっていて、すぐに新しい入れ歯を作ってくれないと、不満を感じた患者さんも居られるのではないでしょうか。
  • 新しいのを作るのだから、古い方はどうでもいいだろうと言う気持ちも分かります。でも、ここで、自動車のことを考えてみて下さい。もし、車を運転していて、急にタイヤがパンクしたらどうしますか。後ろのトランクにスペアタイヤがあれば、スペアタイヤに履き替えて、修理できるところまで移動できます。
    同様に、スペア義歯を持っていれば、もし、普段使っている入れ歯を無くしたり、修理不可能なほどひどく破損した場合でも、慌てることはないはずです。
    私の歯科医院でも、新しい入れ歯を入れた後、患者さんに古い方の入れ歯も、きれいに洗って、水を張ったコップの中に入れて、冷蔵庫の奥にでも保管していて下さいとお願いしています。
  • また、古い方の入れ歯が、かなりすり減っていて、噛む高さを正常な位置に戻すと、かえって患者さんにとっては違和感が強くなる場合があります。こんな時も、すぐに新しい入れ歯にしないで、古い入れ歯の噛む高さを、少しずつ高くしていって、高さになれた頃に、新しい入れ歯を入れた方が良い結果を得られる場合があります。
  • その他、古い入れ歯は、私たちに、新しく入れ歯を作るときに必要な多くの情報を提供してくれます。入れ歯の形や、歯の並べ方、噛み方の癖などいろいろな形で、新しく入れ歯を作る時に注意する点を、私たちにアドバイスしてくれるのです。
  • この様に、とても大事な意味を持つ古い入れ歯ですので、新しい入れ歯ができても、大事に保管して下さるようお願いします。


img1111.gif

                          ↑患者さん用ページトップへ。


NPO-rogo.gif

                                   ↑みんなの歯科ネットWIKIトップページへ。


添付ファイル: file原稿資料1.jpg 1171件 [詳細] file残存歯数1.jpg 1156件 [詳細] file残存歯数.jpg 1195件 [詳細]

リロード   新規 編集 凍結解除 差分 添付 複製 名前変更   トップ 一覧 単語検索 最終更新 BACKUP リンク元   ヘルプ  
Last-modified: 2008-03-16 (日) 13:33:47 (3446d)